先日、初めて八王子にある「信松院」に行ってきました。
信松院は、武田信玄の娘であった、信松尼の暮らしたお寺です。
あまり知られていませんが、東京の八王子は武田信玄にゆかりが深い場所です。
武田信玄といえば、甲州、甲斐国の武将です。
なんで、八王子?と思われる方も多いと思いますが、これには長〜〜いお話が。
信松院の主役、松姫様は信玄の娘でした。
その人生は、本当に波乱万丈。
戦国の女性たちは波乱の人生を歩んだ人たちも多く、きっと歴史にその名も残らないような人たちも、一本映画ができるくらいの人生をそれぞれが生きていると想像します。
そんな中の一人、松姫。
信玄の六女として生まれ、7歳の時に織田信長の嫡男、11歳の信忠と婚約します。
ところが、織田との縁を強くするはずの婚約でしたが、婚約の5年後、三方ヶ原の合戦で武田と徳川が戦った際に、織田が徳川に援軍を送ったのをきっかけに婚約は破棄。
そのよく年に、信玄が亡くなってしまいます。
兄を頼って、高遠に身を寄せますが、10年後、徳川&織田の連合軍に武田が滅ぼされてしまいます。
行くあてのなくなった松姫は、姪を3人連れ武蔵(八王子)に逃れます。
そして、その松姫を助けようとしたのが、織田信忠です。
これは、様々物語になっていますが、政略とは言え、信忠は松姫に愛情を抱いていたのではないか?
一説には信忠の息子、三法師の生母は松姫ではないかと言われています。
京都にいる信忠のものとに八王子から松姫は向かいます。
時は戦国、新幹線はありません。
その間に、本能寺の変が勃発。
信長が討たれると、信忠は本能寺に於いて自刃します。
その知らせを受けて、松姫はまたも行くあてがなくなり八王子に戻ります。
その翌年、松姫は出家し、信松尼として武田の菩提を弔います。
武田だけじゃないよね?信忠のことも思っていたのは明白。
さて、この松姫のために手を差し伸べたと言われているのが、徳川の代官、大久保長安。
この大久保長安は、武田の遺臣であります。
大久保長安の手助けがあったこともあり、八王子の御所水に庵を設け、姪たちを育てながら寺子屋や絹織物を作って生計を立てました。
それが「織物の町八王子」の起源です。
それが、信松院として今に残ってます。
ここら辺のお話は様々語られておりますので、ぜひ検索してみてください。
と言う事で、長い前置きは終わり。
この信松院のことは知っていましたが、なかなかチャンスがなくて行けませんでした。
ちょっと用事があったので、夕方になってしまいましたので門は開いていましたが、ご利益があると言う布袋様に会えませんでした。
でも、暖かい柔らかな雰囲気の「布袋様パワー」を感じてきました。
信松尼のお墓もありますので、せっかくなので参拝しました。
墓前でご挨拶をすると、なぜか渓谷のイメージが浮かびました。
そう言うことはあまり経験がないのですが、なんとなくイメージをもっと見てみたくなって集中すると、まるでドローンの映像のように、クネクネと曲がった深い谷の間をすごいスピードで飛んでいくイメージです。
松姫様、空を飛ぶらしいです。
渓谷、どこだろう?
武田の居城は、「躑躅ヶ崎館」と言われ、今の甲府市に位置します。
甲府と八王子はすぐ隣。
甲州街道と言われる国道20号が、新宿からまっすぐに八王子を抜け甲府まで続いています。
確かに、山の中を抜けますが、どうしてもイメージが違います。
ちょっと八王子からますぐ抜けると山並みが広く平らなところが多いイメージです。
そこで地形図を探してみました。
最近は便利ですね〜〜。
地形図を見てここだ!とすぐに思いました。
それは、秩父を抜ける道です。
あ、道というより渓谷。
それがこちら。↓
今は、甲府まで電車なら中央本線が通っていますが、それが赤い線あたり。
トンネルなどが多いので、不正確ですがごめんなさい。だいたいです。
地形図を見れば、青い線の方が通りやすい気がします。
あの時のイメージを思い出すと、それは雲を抜け、そのスピードの速さや風の感じが、まるで龍に乗っているようでした。
あの映画「ネバーエンディングストーリー」の音楽が聞こえそう。
!!あ。。。
そうだった、武田信玄と、上杉謙信。
この二人を表す言葉「龍・虎」。
激しいライバルを表す言葉であります。
どちらが龍で、どちらが虎なのか?って結構色々お話がありますが、確信しました。
信玄がきっと「龍」です。
松姫様は、躑躅ヶ崎館に通ってらっしゃる。
というか、時々甲府に里帰りされるんだと思います。
龍に乗って。