私と福 2 | 猫カフェ計画!-お家猫カフェ運営日記-

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自宅猫カフェを始めるまでの記録と、お店&にゃんずの日記です。

自分の状態が、フラッシュバック(再体験)だと知って

まあ、納得して。

その時は何とか治まったのだけれど、

 

それからしばらくして、

自分の体が、これ以上の回復は望み薄だと悟った。

この後何年経っても以前の業界にはもう戻れない。

 

当時は自分で気付いていなかったけど、私は

親から逃げる為に無理を重ねて、体を壊したようだ。

 

「仕事をしていれば親のいる家に帰らなくて済む」

 

だから自業自得なのだけれど、

そもそも楽しくなかったら、無理してまでやらない。

 

 

仕事自体も好きだったし向いていると思っていたし

どんな形でもまた関われるようになるんじゃないか。

そんな期待を捨てられなかったので

戻れないのは、・・・、辛かった。

 

飲んでいた薬の影響で

子供が産めなくなっていたのを知ったのもこの頃だった。

 

母親になるのは子供の頃からの夢だったから

そりゃあ辛かった。

外で親子連れを見る度に、泣いていたし

出産できないのに月経だけが来る。その度に落ち込んで。

使わない子宮なら摘出して欲しいと何回も思った。

 

長年の趣味だった楽器は、

通っていた教室が立ち上げた楽団で

中心メンバーとして活動を始めたのだけど

休職した頃、聴覚の異常でお休みしていた。

 

私の担当は打楽器だった。耳に負担が大きい。

病気が治るまで待つしかない。

楽団は待っていてくれた。

 

でも、聴覚の異常が病気のせいではなく、

親と暮らした後遺症の可能性があると知って。

障害なら治らない。もう、打楽器はできない。

楽団を抜けるしかなかった。

 

天職だと思っていた仕事も、

子供のころからの夢も、

一生の趣味も、全部失って、

残った体はボロボロで。

 

自分が空っぽになったみたいで、

それでも福だけはいつもそばに居てくれた。

 

 

※※※※※※

 

毎日、おはよう、と言って

行ってくるね、良い子でお留守番してね、と言って

ただいま、良い子にしてた、と言って

おやすみ、と言って。

 

いつも部屋には福がいた。

猫カフェを始めて、豊太郎が店の子になって

それでも、福は、いつも部屋にいて

私を待っていてくれた。

 

嬉しかった。

 

※※※※※※

 

外祖母はこうも言っていた。

 

「可愛いやろけど、畜生やさかいな、
 可愛がり過ぎたらあかんねんで」

何匹も見送って来た外祖母。
「畜生」と言ったのは

「動物だから気持ちが通じない」と言うより
「動物だから人間と寿命が違う」から、

情を移し過ぎるな、と、言う意味だったのだろう。

 

その通りだ。外祖母はいつも正しい。

今の私の体たらくを見たら、きっと

 

「せやから言うたやろ」

 

と呆れることだろう。

 

※※※※※※

 

私は、福を守っていたけど

福は、それ以上に、

私を守って支えてくれていたと思う。

 

福のくれた20年だった。

 

 

その福がいなくなってしまった。

私は、これから、

どうやって生きて行ったら良いんだろう。