少々前に、オンラインレッスンだけでは、やはり限りがあると、対面でのバイオリンレッスンを私のレッスンルーチンに加えることにした。

 

最初のレッスンでは、私のレベルを把握してもらい、これからのレッスンの方向性を決められるようにと、現在取り組んでいる教材や、前に取り組んだことのある教材などを結構な数の教本を持って行った。しかし、ここ一年程のオンラインレッスンでは、スケール練習は篠崎教本のハイポジションの練習と兼ねてやっていて、典型的な音階練習はしていないので、音階練習の教材を持っていくのを、すっかり失念してしまった。

 

前の対面レッスンでの先生とは、ビギナー用とアドバンス用の音階練習のシリーズ教材(ビギナー用は2オクターブまで、アドバンスは3オクターブ)を使ったことがあり、この度始めた対面レッスンの二回目には、その二つの教本を持っていくつもりで、家に戻り、教材を探したけれど、2冊の教材を見つけることが出来なかった。捨てたり、売ったりした覚えはないので、手元にあるはずなのだけど、もしかしたら、誰かが来た時に、その教材を引っ張り出し、間違って持って帰られてしまったのだろうと思っていた。

 

しかし、先日のレッスンで、第一回目のレッスンから見直し始めた鈴木教材にあるバッハのメヌエットは、それなりの形になったので、他の曲に進みましょうという話になった。私は鈴木教本に載っている曲はあまり好きではないので(鈴木教本は4巻くらいから面白くなるらしいけど、私は3巻までしかやっていない)他にレッスンに持っていける曲、曲集はないかと、バイオリンの楽譜を集めて置いてある本棚を漁っていると、先日見つからなかった、スケール教本が2冊とも出てきた。

 

 

その本棚は、前回、これらのスケール教材を探してた時に、数回探したところと一緒で、何故、前回探していた時には見つからなかったのかが、全く分からない。

 

これらのやっと見つけた教本を、レッスンに持っていくと、上級者向けの三オクターブの物を使って行くことになった。といっても、イ長調とかと長調とか、馴染みのある調の場合、私の音程はそこまで崩れないので、簡単な音階を使い、弓を真っすぐに、そしてしっかりと曳くのが目下の目的になる。

私は、自分では探求心が強い方だと思っていて、何事でも新しい知識を得ることが楽しいので、自分の生活に必要でないことでも、特に役に立たないような豆知識(トリビア)でも、自分が知らなかった情報に出会えると嬉しい。大昔にやっていた日本のテレビ番組で、トリビアを紹介して、ゲストに招かれた芸能人たちが、感動した程度に合わせて「へえ~」と音の出るボタンを押して、どのトリビアが「へぇ~」の数を一番多く獲得できるかを競う(競ってもなんの得にもならないけど(笑)番組と同じように、日々の暮らしの中で「へぇ~」と言いながら生きている。

 

ネットが普及する前は、日常で何だろう、なんでだろうと思ったことの答えは、図書館で本を探すとか、その知識がある人を探すさなければいけなくて、答えをみつけるのが大変で、ずっとモヤモヤしていることも多かったけれど、最近はだいたいのことはネット検索で見つかる。勿論、検索した答えが必ずあっているとは限らないけど、私が日々の生活で「なんで?」と思い、でも、しっかりと書籍などで、答えを探す労力をかけるまでもないと思う事というのは、答えが間違っていても「あ、そう。間違ってたんだ。ネット情報だしね」くらいで流せる事柄なので、それでよいと思っている。

 

ずっと前に、バイオリンのレッスンを始めた時に、先生から、とりあえず必要で用意するものとして言われたのが「バイオリン、弓、肩当て、松脂」だった。その当時の私は、「肩当て」なんてものが存在することすら知らず「へぇ~」と思った。そして、弓の毛(これは馬の尾の毛を使っていることは知っていた)に松脂を塗らないといけないという事も知らなかった。そして「弓の毛に松脂を塗らないと、弓の毛が弦をしっかりと鳴らせないから」と言う説明を聞いて、ここでも「へぇ~、そんなものなんだ」と思った。

 

私は、子供の頃、バレエを習わされていたのだけど、そのバレエ教室は、町の公民館の一室を借りて週に一度だけ行われていて、床はバレエとか踊りに適していなくて、踊っていると結構滑った。そんな時は、先生が用意してくれていた、松脂の破片をバリバリと足(バレエシューズ)の裏で砕いて、踏みつけて滑り止めにしていたので、バイオリンの弓の毛に松脂を塗るのも、弓の毛に粘着性を持たせて、弦と摩擦させているのだと思っていた。

 

しかし、先日、バイオリンの対面レッスンで、先生と少々、雑談をしてた時、先生が、松脂は粘着性を付けるために塗るのではなく、馬の毛の寝ているキューティクルを立たせるために塗るのだと教わった。キューティクルが寝ている状態だと、弦をしっかりと振動させるほどの摩擦は生まれなく、毛を松脂にこすりつて、松脂の小さな粒がキューティクルの間に入り込ませ、キューティクルが立たせて、立ったキューティクルが弦を弾くとのこと。私は、思わず「へぇ~」と言ってしまった。

 

松脂の粘着性を利用していると思っていた時は、弦に松脂が付いていたって同じ粘着性だろうから、わざわざふき取って、またつけて、なんて、面倒な事をしなくても良いのに、松脂はそんなに弦を劣化させるのかなぁ、などと思っていたのだけど、毛のキューティクルを立たせるために松脂を付けるのなら、弦に移ってしまった松脂は、もう「用済み」という事になる。「毎回、バイオリンを弾く前に付けましょう」という注意にも納得だ。

 

知っていても、たいして役に立たない情報だけど、「へぇ~」と言えて、嬉しくなった。

 

会場側が予定を引っ張って、引っ張ったせいで、今年の春のお教室の発表会の日付が決まったのが一月の中旬で、元々予定していた5月の日程が取れず、四月中旬の開催になってしまったせいで、準備期間は3か月ほどしかなかった。しかし、それは生徒たちの事で、私は昨年の発表会の直後から、練習を始めて、ほぼ一年、発表会の曲を練習していた。

 

今年の発表会に選んだのは、メンデルスゾーンの無言歌集から狩の歌だった。この曲は私が持っている〇音のクラシックピアノ名曲集の中級版に入っているし、音の並びもそんなに難しくないかな、と思った。コロコロと臨時記号が曲中に出てくるわけでもないので、暗譜もそんなに難しくないだろうと考えていた。

 

毎年、暗譜は、年明けから始めることにしていたのだけど、今年は旅行などもあり、そのスタートが遅れてしまった。でも、ここ数年の発表会用の曲の暗譜よりも、すらすらと頭に入ってきた。と言うより、何となく手が覚えていて、暗譜に苦戦した箇所が少なかった。

 

こういう風に「何となく手で覚えた」というのは危険なんだよなぁと思いながら、発表会前の数週間では、楽譜とにらめっこする作業を続けたけれど、やはり本番では「飛んで」しまった。最初に飛んだのは最初から数小節目で、ほぼ間違ったことの無い箇所。どうやって体制を立て直したらよいのかも分からず、敢えて弾き直しをしてしまった。その後も、指が指定の場所に行かず、三音の和音が一音、二音になってしまった所がボロボロ。そして、連続した和音では、一音目に違う組み合わせになってしまい「間違った音を弾き直したり(どこをどう弾き直したらよいかの判断が付かなかった)なくしてはミスしたことが分かってしまうし」と「こんな変な和音なんです」という顔で弾き続けた。

 

そして、曲中では、フッとピアノになる箇所が二つあるのだけど、何故か全くピアノにならず。そして、聞き返してみると、最終部の右手が高い音のバックグランドに左手でメロディーを奏でるはずのところの右手の音が耳につきすぎる。このホールでは、いつもはスタインウェイB型が置いてあり、我が家のスタインウェイもB型。家での練習は、どちらの箇所も、それなりに合格点くらいの出来になっていたので、その調子で行けるとおもっていた。実際にホールにあったのは、フルコンD型。「ピアノに食われてしまった」というのが私の全体的な感想。

 

動画、写真撮影係の旦那の評価は「とても刺激的な演奏だった」の一言。彼の「刺激的」は「ツッコむところがいっぱいあるけど、いちいち言わない」と言う意味。いつもは、彼が言う程「刺激的」ではないだろうと思うのだけど、今回は全くの同意だ。たった一つの救いは、私が演奏を終えた後は「ウワァ」と言う感じの、生徒の誰よりも大きい拍手が起きたこと。ハプニング続出の演奏でも「こういう曲なんです」という、シラっとした顔で弾き続けたのだけは合格点だろう。

 

 

私は、整理整頓が苦手。苦手というより、物が散らかっていても、ほぼ気にならない。先日、朝の情報番組で、整理整頓が苦手な人には三タイプあって、タイプによって解決法は違うと、それぞれの解決法について紹介していたけれど、どのやり方でも、私の場合、解決しないだろうという印象を受けた。散らかっているという認識はあっても「それで全く問題なし」と思っているのだから、やはりどんな解決法も有効ではないのだろうと思っていた。

 

それでも、物が散乱していて、必要なものが見つからずに困ることが(よく)ある(困っても、毎回「そんなもんだ」と思っているので、整理整頓をしようという動機にはならない)その中の筆頭の一つは消しゴム。私の筆跡はとても乱れていて、誤字脱字も多い。頭の中では「こういう字を書くぞ」というのがあるのだけど、実際に字になると、頭のスピードに手が追い付いていけないようで、所々が抜けていたりする。例えば、「あれは」と書こうとして「あは」になる。そんなことから、消しゴムは必須アイテムなのだけど、常に「使ってそこに置き」をしているので、どこにあるかは見当もつかないし、ノートとか楽譜の下に埋まっていることも多い。

 

私の日常で、鉛筆と消しゴムを使う機会が一番多いのは、レッスンの時なのだけど、一日に数回は「消しゴムがない~、何処ですか~」とやっている。それが先日、これまた、なくしてしまった(最後に使ったのは、10年程前の)手動の小さな鉛筆削りを買いに行くと、鉛筆削りとセットになって、鉛筆の底(端?)に付ける消しゴムが付いてきた。アメリカ人の子供たちは「消しゴムは鉛筆のそこに付いている物」という認識があり、書き込みをさせて間違った時などは「消しゴム頂戴」と言わずに、ほぼ使い切った消しゴムサイドの鉛筆の底で、ゴシゴシする。鉛筆削りとセットになっている消しゴムを鉛筆の底に付ければ、子供達の役に立つだろうと、そのセットを購入。早速、消しゴムが無くなってしまった鉛筆の底に付けた。

 
 
子供たちの為にと思って購入したのだけど、私も、レッスン中に「消しゴムは何処だ~」と探す必要がなくなった。レッスン中に鉛筆を使うのは、私が8割、子供が2割なので、私の役に一番立っていると言える。
 

私は、ピアノを習いに来ている生徒達に、絶え間なく「数(拍)を数えて」と言う。そのうちの多くの生徒が「拍を数えながら弾くなんて難しすぎる」と言うのだけど「拍と指(音)を合わせるのが難しいのは、ちゃんと拍通りに弾けていないからです」と、ごねる生徒を一蹴する。ちょっとピアノをやったことのある親御さん達に「拍を数えながら弾くなんて、難しいことさせるんですね」と言われたこともあるけど、本当に初歩(最初の数回のレッスン)から、拍を数えるという事をしないで、先に進んでいき、半年、一年と経ち、リズムがちょっと複雑になってくると、途端に躓くことになる。

 

私の所で、最初からレッスンを取っている生徒たちは「ピアノを弾く時には拍を数えながらやるものなんだ」と、比較的すんなり受け入れる子も多いのだけど、私以外の人から「その曲はこうやって弾くんだよ」とお手本を見せられて、耳と目で覚えてしまった子供(大人もか?)にとっては、自分で拍を数えなくても何となく弾けてしまうという状態になる(そういう生徒にとっては、楽譜の音符をしっかり読んで、拍を数えながら弾くのには根気のいる訓練が必要だけど、お手本を目で見て、耳で聞くと、ほぼ一発で覚えてしまう)

 

ちょっとピアノをかじったことのある親御さんだと、家での練習で子供がトラブっていたりすると「こうやって弾くんだよ」とやって見せてしまう。すると、子供はレッスンで、家で見聞きしたことを繰り返すので、それなりに弾けているので、私はちゃんと理解しているのだと思い「合格」をあげてしまい、後々、しっかりと楽譜を読む能力が付いていないことを発見したりする(ちなみに、子供たちの「宿題帳」には「しっかり拍を数えながら練習すること」と書いてあるのだけど、それをちゃんとやってくれる親御さんは、残念ながら、ほぼいない)

 

先日も、ピアノを弾けるお母さんを持つ子供が、レッスンの課題曲の拍がどうしても崩れていた。拍を数えていないのは明白なので「ちゃんと数を数えましょう」と言った。すると「お母さんからは、数を数えるなんてこと習ってない」と言う。この子の、普段のレッスンでの出来栄えは「ああ、家でお母さんに見せてもらって練習してくるけど、ちゃんと音符の読み方や拍の取り方までしっかりとやらせてないな」と、感じていたので、その答えには驚かなかった。でも、その子は私の所でレッスンを始めて一年半は経つ。その間、私は常に「拍を数えること」と言い続けてきた。「お母さんは教えなかったかもしれないけど、私は教えたよね」と言うと、「あぁ見つかっちゃった」とでもいうような顔つきだったけど、素直に拍を数えながら弾いた(そして、ちゃんと出来た)

 

その子にとって(そして多くの生徒にとって)音符をちゃんと読んで、拍をきちんと取りながらピアノを弾くより、音符も拍も何となくで、耳や目で覚えたものを再現する方が楽なので、「お母さんにおそわっていない」と言うのは、面倒な拍取りをしないでよいように言っている言い訳だった。私は、やっぱりな、と思ったと同時に「Gotcha」と言いそうになった(「Gotcha」というのは「I got you」の崩れた言い方で、誰かが見え透いた言い訳をしているのを論破した時に使う)