夏の日本旅行から帰ってきて一か月もすると「また、飛行機に乗ってどこかに行きたい」という願望がムクムクと出てきて、冬休みのアラスカ旅行の前に、近場のメキシコへダイビング旅行に行こうという事になった。

 

我々の住む町は、メキシコと国境を接していて、徒歩で国境を超え、メキシコの地方都市空港に直行できるようになっている。とても便利な施設だと聞いたことはあったのだけど、メキシコに仕事でよく行く旦那も使ったことはなく、使ってみることにした。アメリカ側から国際線で目的地ロスカボスに行くより、メキシコ国内のLCCを使うと旅費も二人で4~5万円位安くなる。

 

我が家から国境までは、車で30分~45分ほど、余裕を持って朝の暗いうちに家を出て、国境を超えて、メキシコの空港へ入る。二人とも初体験の施設で、手続きで少々手間取ったところもあるけれど、特に問題なくすんなりと空港でチェックイン。利用するのはLCCの為か、メキシコタイム(のんびり)の為か、出発の2時間前を目安にチェックインするようにと言われていたのを、しっかりと守った形となった。空港では、英語のしゃべれない方がカウンターに居たり(隣で作業をしていたもう一人の係員さんが通訳として入ってくれた)空港内の表示は大きなスペイン語と(英語を読みなれていない人だったら読み落としてしまいそうな位)小さめの英語、飛び交う言葉も、ほぼスペイン語だし、空港のアナウンスも始めはスペイン語、そして、とてもスペイン語訛りの強い英語(これも、英語を聞き慣れていなければ聞き逃してしまうだろう)が続く。徒歩で、たった10分ほどの橋(と言っても、駅と駅ビルを結ぶ通路のようなもの)を渡っただけでも、メキシコ感が満載だった。メキシコ時間で、飛行機も遅れるのかと思ったけれど、こちらは、時間通りに搭乗そして、離陸となった。

 

 
目的地のロスカボスまでの飛行時間は2時間ほど。飛行機は満員で、我々を含む半分くらいの人は手荷物を乗せるところがないので、とタラップで貨物室に積むようにと指示を受けた。
 
到着したロスカボス空港では、特に問題もなく、荷物は出てきて、飛行機に乗る前にメキシコの入国審査等は受けていたので、そのまま空港の外に出た。このロスカボス空港では、荷物を受け取り外に出ると、ずらりとタイムシェアの勧誘の人たちが並んでいて「タイムシェアを買う必要はない、でも、1時間ほどのプレゼンを聞きに行ってくれたら○○をあげます」と言ってくる。もらえるギフトには空港から(プレゼンのタイムシェアではなくて、本当に宿泊する)ホテルまでのシャトル送迎が入ることが多いので、今回はそれを期待して、空港からホテルの足は確保せずに行った。
 
外に出て、ちょっとキョロキョロ、誰か声をかけてくれないかなぁとやっていると、一分もしないうちに「どこまでですか?シャトルは手配してある?」と聞かれた。「してません」というと、それなら、こちらへとカウンターへ促され、タイムシェアのプレゼンの話をされた。今回のギフトは、帰りのホテルから空港までのタクシー代(乗合バスではなく)と、現金200(アメリカ)ドルというではないか。プレゼンを聞きに行くためにスケジュールに半日空きを作っていた我々は「行きます」と、手続きを完了。「昔は、空港からホテルまでのシャトル代も出してくれてたんだけどんねぇ、シャトル代を出してもらってとんずらする人が多くなったのかなぁ」なんて言いながら、ホテルに向かった。
 
乗合で、他のホテルで他のお客さんをおろしていたから、少々時間は掛かったけど、到着当日は、特に予定を入れていなかったので、問題なくホテルに到着。しかし、チェックイン時に問題が起きた。それは、チェックインカウンターにされた張り紙で「台風が接近中、明日、明後日には、この辺りを直撃するよていです」とある。出発前に、現地の天気予報を見て、二日目は雨、三日目は雨のち晴れとあったけれど、どうせ、海で潜るのだから、濡れても関係ないだろうと思っていたのだけど、台風となると、ダイビングは無理。実際、チェックインを終えたタイミングで、ダイブショップから「本日の夜9時より港が閉鎖します。いつ再開するかは未定で、明日のダイビングはキャンセルです」と連絡が入った。
 
LCCの航空券は変更、返金不可だけど、念の為、海外旅行保険に入っていたので、台風が来るからとキャンセルすることも出来たのに、もう、現地についてしまっていたので、手遅れだった。

英語(米語?)ではGrumpy Old Menという言葉があり、日本語では気難しい老人(男性)と訳されるらしい。私は、慣用句だと思っていたのだけど、元々は映画の題名らしい(邦題では「ラブリー・オールドメン」となるそうで、Grumpy の対義語ともいえるLovelyにすり替わっているのが面白い)元々は古い米国の映画らしいけど、そういえば、何十年か前にリメイクされていた。映画で、気難しい老人達が、本人達にとっては、いたって当たり前でも、他から見ると滑稽な言動を描いているコメディー。これは、世界共通なのか「年を取ると、気難しくなって嫌だねぇ」という事らしい。

 

私も、半世紀以上の人生を過ごして、自分で自分の事を「気難しくなった」と感じることがある。私は元々、自分の考えがしっかりしている方で、その上、神経質。他人の言動とか、社会の在り方とか「おかしい」と思うことが多いし、気になる。日本にいる時は「出る杭」にならぬよう、思っていることを口に出すことは少なかったけれど、アメリカに来て、思っていることを口に出すようになった。初めは、思っても言えなくて、悶々としてたこともあったけれど、最近は、だいたいズケズケと言ってしまう(その後の人間関係を考えて、黙っていることもあるけれど)というか、後で悶々と過ごすなら、自分の精神衛生上、口に出してすっきりする方を選んでいる。

 

先日も、とある格安航空券手配の旅行会社に電話を掛けた時のこと(普通は、ネットで済ますのだけど「お得なセールをしているのでお電話ください」とあったので電話した)電話に答えた方は、英語が結構なまっていて、たどたどしかった。一時期のアメリカのカスタマーサービスは、インドとかフィリピンなどに外注していることが多くなり、この会社もそうと思われた(最近は、訛りの強い英語で分からない、カスタマーサービスが悪いと、多くのアメリカ人が文句をつけたらしく、外注は減っているように思われるが、ここはまだ外注で経費削減しているらしい)

 

私自身も、〇十年前は、訛りの強い、たどたどしい英語をしゃべっていたし(今だって、自分では英語に苦労してないと思っていても、日本人以外から見ると、それなりに訛りは残っているらしい)アメリカ人達よりは気長だけど、最近は辛抱が足りなくなってきているのか(日本語以外の)訛りの強い、たどたどしい英語を話す相手との会話は、とても疲れるので「あなたの英語が分からないから他の人に変わってくれ」とリクエストすることも多くなった。

 

今回の方は、そこまで悪くはなかったけれど、二言三言交わしただけで「あぁ、この人との会話は疲れそうだ」と思ったし「きちんとお名前でお話したいので、お名前を伺えますか」と聞かれ(アメリカ(西洋)では、相手を名前でなく、肩書など(「お客様」でも)呼ぶのは失礼と思う節がある)私の(全然めずらしくない)英語名を伝えても、聞き取れず、スペルしても聞き取れず、となった時に「はぁ~、どうせ言えないんだから聞くな」と思い、またもや「あぁ疲れる」となった。

 

そんな中で、私が日本行の往復航空券購入を考えていると伝えると「日本は、素敵な場所ですよね。私も是非、行きたいとおもっていて、、、」と、一生懸命、世間話をしようとする。しかし、英語は聞き取りずらいし、向こうは、本当はそんなにしゃべりたいこともないけど、研修で、お客さんとは和やかに世間話をして、フレンドリーにするようにと教わっているから(少ない語彙力、語学力で)頑張ってしゃべっています感が満載で、それも一層、話辛さに拍車をかける。そして、雑談をしながら手を動かして、用件(航空券のサーチ)が出来るのなら良いけれど、頑張って会話をしているので、手が止まっているのは明らか。

 

そこで、私は「無駄なおしゃべりはしなくてよいです。用件だけきちんと済ませてください」と、その方のたどたどしいおしゃべりをさえぎってしまった💦

 

夜に帰宅した旦那に、このことを話すと「可哀そうに、研修で、そうやりなさいと教わっているから、頑張ってやっているのに」と言う。私もその意見には100%賛同するし、自分でも「気難し」だろうなぁと思ったけれど、私は無駄話をするより、効率的に物事を済ませたかったのだ。ちなみに、色々な航空券の提示をしてきて(私が、そのプラン、値段は気に入らないから、いらないと電話を切ろうとすると、もう一度探してみますと、粘られた)一時間近く、あぁだ、こうだとやっていたけれど、私の気に入るプラン、お値段はなく、その方のセールスにはつながらなかった。

アメリカでは、何故か自分の血縁の子供に対する権利がとても強くて「親権」を取り上げるのは、とても難しい。その上、カリフォルニア州では養育権に関する法的な前提が「子供は自分の両親のどちらとも、均等にコンタクトを取りながら成長するのが一番ふさわしい」というもので、両親が分かれた場合は基本的に養育権を共有することになる。両親が近所(同じ町など)に住んでいる場合は、週の半分はお父さんと、残り半分はお母さんと過ごすなんていう子(二つの家を行ったり来たりする)も、珍しくない。

 

そういう子の一人が、ピアノのレッスンに通ってきている。その子の継母さんが子供の時にピアノをやっていたという事で、継母さんとお父さんに連れられて、私のピアノ教室を訪れた。その子は、週日の半分はお父さんと継母さんと、そして、残り半分は実のお母さんの元で過ごすらしい。そして、週末はお父さん宅とお母さん宅とで、交互に過ごすそうで、週末にレッスンに来るその子は、隔週で来ている。その子は、けっこう聡明だし、練習も良くする様子で、継母さんが家での練習を見ているらしく、隔週のレッスンでも遅れは取らないので良かった。

 

でも、困っているのが発表会。今年の秋の発表会は11月の初めの土曜日に予定しているのだけど、継母さんに発表会への出欠の有無を聞いたところ、その週末はお母さんと過ごす週末の為、無理そうだという事だ。ちょうど、最初のレッスンブックを終えたとこで、弾ける曲も出てきて、本人も発表会は出たそうだったらしいのだけど、お母さんがいい顔をしないらしい。

 

五月に母の日があった時は、その週末はお父さんと過ごすはずだったのに、お母さんは面会日(?)の変更を求めて来たらしいのに、お父さんからの変更には渋り、渋り、渋り通すらしい。それに、面会日を変えなくても、子供の為の発表会なのだから、お母さんが連れてきてもよさそうなのに(もう一人いる、両親が同居していない子供は、お父さんとお母さんと二人とも発表会を見に来ている)「これは、父親と継母がやらせてる習い事だから、私は関係ない」とでもいう姿勢なのだろう。

 

継母さんの言葉の節々からは、お父さん(と継母さん)とお母さんの間には確執があるような雰囲気が感じられるけど、それを(ピアノが好きで、発表会にも出たがっていたらしい)子供の活動に投影させないであげてほしい、と(継母さんや生徒には言わなかったけど)思っている。

先日、オーケストラのリハーサル中に、ミュートを装着しようとしたら「バッターン」と大きな音がして、ブリッジが倒れてしまった。実は、数週間前のリハーサルでも、とある他のバイオリン奏者の方のブリッジが似たように大きな音を立てて倒れた。その方のブリッジは割れてしまって倒れたのか、倒れて割れてしまったのか、使いものにならなくなり、他の団員さんが偶々持っていたスペアのブリッジを装着して、リハーサルに再参加をした。

 

私の場合は、ブリッジは割れてはいなかったし、バイオリン自体に一目でわかるような傷もなかったので、ほっとして、弦を緩めてブリッジを立てなおして調弦しようとした。その間、私はオーケストラの自席に座っていたのだけど、他の人はリハーサルを続けているので、音楽が鳴っている中で、調弦するのも難しいと思い、廊下へ出て調弦をすることにした。

 

次席を立って、バイオリンを抱えて歩くと、バイオリンの中に何かがあるのが、カラカラと音を立てている。装着しようとしていたミュートが穴から落ちてしまったのかなと思い、バイオリンから出そうとしたのだけど、なかなか穴から出てこない。とりあえずは、ミュートは入れっぱなしで、調弦して、リハーサルに戻り、リハーサルが終わってから、ゆっくりとミュートを取り出せばよいやと思った。

 

そんな時に、ちらりとバイオリンの内部の異物が見えたのだけど、それは、ミュートの黒色ではなく、木の色の薄い茶色だった。これは外部から侵入したミュートではないと、中で転がっている物質をよくよく見てみると、魂柱らしいと気が付いた。魂柱がないのに、弦を張って、もっと圧力がかかる弾いたりしたら大変なことになるだろうと、その後のリハーサルは(色々な指示が出るだろうと、帰宅せず)見学することにした。

 

リハーサルは夜で、終了は22時ごろとなるので、翌朝、朝一でバイオリン工房に連絡すると「何時ごろ来る?」と聞かれたので、その日のお昼ごろうかがうことにした。修理に掛かる費用の予想を聞いてみると「20ドル(3000円ほど)」というではないか。このお値段だとすると、結構簡単な作業で、時間もあまりかからないのかもしれないと、聞いてみると、20分から40分くらいで出来る作業だという。私は、てっきり、バイオリンを預けて、また取りにいかなくてはいけないと思っていたのだけど、それならば、仕事をしていもらっている間に、お昼でも食べていようと思い、工房に向かった。

 

さて、工房のあるビルの入り口に着くとインターコムはあるのだけど、どの部屋を呼んだらよいのかが分からない。そういえば、着いたら電話してと言われていたので、電話を掛けると、少々して、職人さんが出て来てくれた。バイオリンを預けて行っても良いし、一緒に来ても良いと言われたので、流石に、初めて持ち込んだ工房に入らず、ビルの入り口でバイオリンを渡すのはと思い、一緒についていくことにした。

 

私は、工房へ行って、バイオリンを渡し、ケースなどは持ち出して、車を止めた所の目の前にあった、ラーメン屋さんに行こうと思っていたのだけど、職人さんは私の目の前で修理を始めた。まあ、あまり時間が掛からない作業だという事だからと、そこで待つことにした。職人さんは、少々手こずっている様子だったけれど、30分ほどで、魂柱を立ててくれた。私の当初の予想では、ノリか何かで留められているのかと思ったけれど、ただはまっているだけのようだった。修理が終わると「魂柱は正しい位置にあるけれど、音が違うこともあるから、弾いて確認」するようにと言われ、少々、工房で弾いたのだけど、なんだか、今までよりもバイオリンが響いているような感じがした。それは、良いことだろうと、無事に修理を終え、帰宅の途に就くことにした。

 

修理が終わったので、直帰しても良かったのだけど、車の駐車場は一時間ほどの料金を前払いしてあるし、行こうと思っていたラーメン屋さんは、がら空きで(ここは、市内に何軒かあるラーメン屋さんの一件なのだけど、他のロケーションでは行列が出来るお店なので、不味くてお客が入らないという事はないだろうと)30分もあればラーメン一杯は食べられるだろうと、ラーメン屋さんにも立ち寄った。お腹も一杯になり、私もバイオリンもすっかり元気になった。

子供の頃のピアノレッスンでは、楽譜にある音符を、その通りに弾くのが課題で、兎に角、音符の順番で指を動かす練習しかしなった(というか、家での練習は殆どして行かなかったので、先生もそれ以上の事は教えられなかったのか、もしかしたら、教えようとしてくれたけど、私が覚えていないだけかもしれない)和音というものがあるのは知っていたけれど、それがコードで成り立っていることが多いとは知らなかったし、コードというものがあることすら知らなかった。

 

大人になって、ピアノを再開して、クラシックはもちろん、ポップス曲などを弾くようになり、コードというものがあり、コード弾きという奏法があることも知った。コードを自分で勉強したけれど、メジャーコードとマイナーコードくらいは分かったけれど、概念的に理解しただけで、使えるほどではなかった。そして、大学で音楽理論のクラスを取ると、コードのドリルを沢山やらされ(コンピューターがランダムにコードを楽譜で示し、それが何のコードかを答える)ドリルのおかげで、メジャー、マイナーだけでないく、ディミニッシュとか、セブンスなども、すらすらと分かるようになったけれど、コードの知識を楽譜読みや、演奏時に使えるようになるには、それから数年が掛かった。

 

それでも、だいたいは、普通の二段のピアノ譜に添えられているコードを参考にしたり、楽曲の分析で使う程度で、コード付きの一段譜では、まだまだしどろもどろだった。そして少々すると、楽譜をコードで考えたり、簡単なコードだけなら、一段譜でも、それなりに弾けるようになった。でも、押さえるコードはどうしても基本形になってしまい、コードを弾く左手が鍵盤の上をあっちへ行ったり、こっちへ行ったりと、せわしいことになる。

 

そこで、現在の私の目下の目標は、コードを転回形で使える様になることだ。しかし、一段譜を読んでいると、どうしても手が基本形のまま動いてしまう。コード進行に合わせて、つながりの良い転回形を考え、一段譜を二弾譜にすればよいのだけど、それではコード弾きというより、楽譜読み。どうやったら、一段譜を弾きながら、パパっと転回形が出てくるようになるものかと考えてはいたけれど、答えは出なかった。

 

そんな時に受講し始めたのがジャズピアノ講座で、一学期目は「とにかく(セブンス)コードに慣れる」のが目標で、一段譜を見ながら、左手をあっちに行かせたり、こっちに行かせたりしながら、基本形で弾くようにと指導があった。回転形は二学期にやりますとのことだったのだけど、二学期目の授業が始まって数週間、回転形の練習の仕方を習った。それは、手っ取り早く、Cメジャー、Gメジャー、Fメジャーの ii-V-I を、つながりの良い回転形を使い、覚えてしまおうというものだった。

 

考えてみると、どの調でも、それぞれのコードからコードへ移る鍵盤の間隔は同じなのだから、それぞれの調のコードで、同じ転回形を使えば、指の動きは、ほぼ同じ。この動きをパターン化して行けば、どの調でも、逐一、最初から考える必要はなく、パターンにしたがって指を動かせばよいだけ。クラスでは三つの調しかやっていないけれど、このパターンを応用すれば、どの調でも回転形がすらすら出てくるようになるだろう。ii-V-I 以外にも、よく楽曲に出てくるコード進行でも、それぞれのパターンがあるそうで、そういう引き出しを増やしていくそうだ。

 

今まで、自分一人では「どこから、どうやって、手を付けたらよいやら」と思っていたジャズ奏法を、形態づけて、それを一歩一歩教えてくれるので、この講座はとても良い学びの場になっている。