決して「歌う事」自体が嫌いになったワケでは無いのですが…。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

有栖川まおの愛が止まらないR

「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

♪希望を抱きしめて きっと

歌うことが

生きてるその意味に思えて…

 

 本日は、Wink(今となっては、どうしても「」って付けちゃいますよね…)の鈴木早智子さん53回目の誕生日です。

 そして翌日には、相田翔子さん52回目の誕生日を迎えます。結局、Winkの完全復活の話は無いままになってしまいましたね…。大体にして、いくら相田さんがその気でも、鈴木さんがアレだからなぁ。

 冒頭の歌詞は、リリースされて今秋で30周年を迎える9thアルバム『Nocturne ~夜想曲~に収録された鈴木さんのソロ曲『Only One』の一節です。

 

 

 「Sing is My Joy」「Sing is My Love」「Sing is My Dream」「Sing is My Life」…と、歌う事の素晴らしさを歌い上げた、あの及川眠子氏の手による作詞の隠れた名バラード(本当に「隠れた」でして、つべで検索しても全然出てきません…と思ってたら、ありましたよ!!)なのですが、

かく言うは、ある出来事を以て、歌う事に対して抵抗を感じるようになってしまいました…

 今回はいささか重い話になってしまうので、読みたくないって方はブラウザバックをお勧めします。じゃあ何でこんな話を書くのかと言うと、去年亡くなった三遊亭円丈師匠が著した師匠、御乱心!と同様に、「あの事実を語らずに貝のように口を閉ざして死にたくないという執念のような気持ち」があるモンでして…。

 

 学生時代の私は、「音の授業が苦手であり大嫌いでした。特に中学時代、教師のBBA居残りまでさせられていたリコーダー地獄でした。只でさえ、中学は辛い事ばかりだったってえのに…。

 しかし、「音を聴く事はもとより、歌う事自体は嫌いというワケでは無かった、どころか、むしろ好きな方だったんですよ。中学の時、校内の合唱コンクールで、中1の時に上級生が自由曲で歌っていた十字架(クルス)の島を聴いて感動してから、ずっと歌いたいと思っていたのを、中3の時に選曲して全校で優勝した位ですから(これが、私にとって暗黒時代だった中学時代において、ほとんど唯一と言っていい程の良い思い出でした)。もっとも、先述の通り「音の授業が苦手楽譜が読めなかったモンですから、ほとんどフィーリングで歌っていたのですが…(元々、歌というのはそういう物だと思うんですけどね)。

 それが一転して、嫌い…とは行かないまでも、抵抗を感じるようになってしまったのは、大学時代に、マサヲ君みたいなツラをした先輩に騙されて、

某男声合唱団に入団させられてしまってからの事でした。それについては、旧ブログにおいても2度にわたって書いた通りなのですが、この合唱団に入団させられて何が一番イヤだったのかと言うと、今にして思えば、やはり、戦車長殿一人を除いたクソみたいな先輩共の存在でした。先述の中学時代の合唱コンクールでは、私のパートはテノールだったのですが、その合唱団では、先輩共によって、パート毎の人数合わせの為に、バリトンへと回されてしまったのでした。それが悲劇の始まりでした…。

 新歓コンパの帰りに、終電も無くなってしまったので、他の新入団員二人と共に、後にその合唱団でバリトンのパートリーダーとして私をいびりまくる事になる、ヒラメ顔をした先輩の家に泊めてもらう事になったのですが、そこで見せられたのが、よりによって『フルメタル・ジャケット』のビデオだったのでした…。

今にして思えば、これは、その先輩からの「これからお前らをこの兵隊のように扱うから、せいぜい覚悟しておくんだな」という警告だったのかもしれません。全体練習が終わった後も、先述の通り楽譜が読めなかっただけでは無く、隣のパートにつられて音を間違えてしまう事が多いという、合唱団員としては致命的な欠点を持っていた私(何でこんなヤツをスカウトしたんだろう…)に対して、「音取り」と称して、居残りでビシバシと厳しくパート練習をさせていたそのヒラメ顔先輩が、合唱団内における『フルメタル~』のハートマン軍曹だったとすれば、

さしずめ私は「微笑みデブ」といったトコでしょうか(苦笑…もっとも、当時の私は痩せていたのですが)。

とにかく、現役中は、パート練習で夜遅くまで延々と我々後輩を拘束し続けていた別に残業手当が出たりするワケでもあるまいがよ…)そのヒラメ顔先輩を、『フルメタル~』の劇中と同様に、撃ち殺してやりたくってしょうがありませんでしたよ。

そう、この合唱団に居た時期は、まさに我が人生におけるベトナム戦争でした。練習中は、いつもポール・ハードキャッスルの『19(Nineteen)が頭の中でリフレインしてましたし…。現在、その合唱団の紹介文では「ビシバシと厳しく…と言う感じではなくラフに活動し、ハーモニーを楽しんでいます」などと書いてますが、オレ達の現役時代は、それこそ「ビシバシと厳しく」だったんだぞ(泣)。

 そんなワケで、そのヒラメ顔先輩の所為で合唱そのものに喜びを見出せなくなってしまった以上、団内の「縁の下の力持ち」として活動する事に活路を見出そうと、その合唱団内における社内報と言うべき「団報」の編集を手掛ける事にしたのですが、その団報に掲載する原稿を、先輩共から提出してもらえないという嫌がらせにも遭いました。特に、そうした私の「団内での合唱以外の行動」に対して否定的だったのが、同パートでヒラメ顔先輩の1つ下の、汚ねぇニキビ面をした黒縁メガネの先輩でした。そのニキビ面先輩は、練習後にとっとと帰ろうとしていた私をとっ捕まえて、「お前ェ等後輩は俺達先輩の言う事を黙って聞いてりゃいいんだ」などとネチネチと長広舌で嫌味を垂れやがったりしてウザくてしょうがありませんでしたヤツは事ある毎に、私を合唱団から追い出したがっていた様子ですが、私としても、手前ェなんかに言われるまでも無く、こんな楽しくも何ともない合唱団なんか、とっとと辞めちまいたかったトコですよ。しかし、そう簡単に辞めるワケにも行かなかったのでした例の草彅剛にクリソツなヤツを始めとした同輩達からは、そのニキビ面先輩とは正反対に「辞めないでくれ」と引き留められていたのです…って、一体オレにどうしろってんだ!? 

 もう一人イヤだったのが、セカンドテノールの四角い顔をした先輩でした。その先輩は、同輩達から「話の分かる先輩」として一目置かれていたので、私も飲み会の席とかで相談…と言うよりは、この合唱団における不満ぶちまけたのですが、その四角顔先輩は、私の話に対して「違うんだ」などと頭ごなし否定して、その合唱団内でしか通用しない論理一方的に長広舌を垂れ(先述のニキビ面先輩といい、長話が好きな男ってイヤですよね…)、それに対する私の反論を一切許さずに、私を論破したつもりになってドヤ顔してモンですから、「話の分かる」どころか、ちっとも話になりやしませんでした…

 そんな先輩共がのさばっている合唱団に、いい加減嫌気が差して一旦脱団を宣言した後、同輩の草彅(仮名)とソバカス面の二人が私を連れ戻す為に説得に来たので、「あのニキビ面先輩がウザいんで辞めた」と話したら、「我慢しろ、あの先輩はもうすぐ卒業するんだから」と説き伏されて、渋々合唱団に戻る事になりました。しかし、そのニキビ面先輩は、卒業した後もOBとして事ある毎に顔を出し、私に対しても現役時代と変わらずに、しかも、出戻りした事への皮肉も込めて、ネチネチと嫌味を垂れてやがりました…ウソ付きッ!! 草彅(仮名)共め、騙くらかしやがったな…(

 先述のマサヲ君(仮名)先輩もそうでしたが、この合唱団のモットーは、新入生に対して「お前、いい声してるな」「1ヶ月間学食を奢ってやる」などといった甘言により、頭数稼ぎの為だけに(それこそ、合唱の経験が無かろうが歌う事が苦手だろうが、オレみたいにの成績が悪かろうがお構い無しに!)、団員として引き入れてしまおうと、人を騙す事にこそあったようです。2年生になって、先輩共から新歓のテクを教えられた際に、あらためてその事を思い知らされました。まるで、昨今お年寄りを騙しまくっている振り込め詐欺グループの如しです。以前も書いた通り、ただ単に人を脅したり騙したりして団員を増やすだけでは、その組織は長続きしないってえのに…。

 そうやって引き入れた新入団員に対して、厳しい練習というムチ飲み会というアメによって「合唱とはこんなに素晴らしい物なんだよ。『面白くない』なんて言ってるヤツが居るんだったら、そいつの方が間違ってるんだよ」と洗脳してしまう事もまた、この合唱団のモットーでした。それによってまんまと洗脳されてしまった草彅(仮名)達同輩共や後輩共とは違い、その洗脳に引っ掛からず(または引っ掛かった振りをして)、先輩共が結成した別の合唱団への勧誘を、これ以上時間を取られるのは御免だとばかりに頑なに拒んだり、「バイトがある」と言って合宿にも顔を出さなかったりと、合唱団の活動に何かと消極的になってしまった私を、先輩共が毛嫌いして追い出したがっていたのは、当然と言えば当然だったのかもしれません。まるで、シベリア抑留中に共産主義に染まらなかった為にリンチを受けた末に殺されてしまった元日本兵か、オウムから脱会しようとして「修行」の名の下にポアされてしまった信者の如しです…。

 そして、先述のニキビ面先輩や四角顔先輩の他にも、現役時代に私の事を嫌っていたOB共が、よっぽどヒマなのかよっぽど仕事がイヤでたまらなくって学生時代に戻りたがっているのか、それとも社会人になっても洗脳が解けていないのか、やたらと現役生の練習に顔を出してやがりましたっけ。これでは、そのOB共が現役だった頃と、何ら変わりが無いではないか…。

 そんなワケで、私は、現役最後の年の定期演奏会のパンフの「卒業生からの一言」に、この合唱団の悪口を書き殴ってやりました。そして、卒団後はこの合唱団にOBとして顔を出すつもりは毛頭無かったのですが、先述のソバカス面の奴に騙されて(我ながら、騙されてばっかで情け無ェな…)、

合唱団の演奏会にOBとして顔を出さざるを得ない状況になってしまった事がありました。その打ち上げの席で、もうツラも見たく無かったニキビ面先輩から、何食わぬ顔でグラスにビールを注がれる事になったのですが、その時の私は、ヤツのニキビ面に、そのビールを思いっきりぶちまけてやりたい衝動を、辛うじて抑えていました。勿論、そのビールは一切口にしませんでしたよ

 そして今や、そのOB共の存在無くしては、その合唱団の運営は立ち行かない所まで来てしまっています。きっと、かつての私のように「騙されてしまった者」の経験を踏まえて、知恵を付けてきた「騙されない若者」が増えてきている為なのでしょうが、それ以前に、新歓の立て看やチラシに阿部高和やら野獣先輩やらを使って新入生にドン引きされてるからなのかもしれません…って、バカ!! 自ら団員を減らすようなマネをしてどーすんだよ。OBもOBなら、ホモガキな現役生も現役生ですよ…。それはともかく、先日ネットで検索したところによれば、入学・卒業式や定期演奏会といった合唱団の出るイベントがある度に「助っ人」と称してOBが顔を出しているのですが、メンバーはほとんどそのOBばかりで(まさに老害以外の何者でも無いなぁ)、現役生はほんの数人、という状態が続いているそうです…。このOB共が現役生の活動に首を突っ込みさえしなければ、とっくの昔に団員不足で廃部になってた筈なんだけどなぁ。まあ、完全に「廃部」とまでは行かなくとも、かつては完全な男声合唱団だったのが、今や女性もOKになったり、練習も月2回程度になってしまったり(オレの現役の頃は、週3回各2時間の練習に加えてパート毎の独自練習があったりしたってえのに…)と、完全に「飲みサー」と化している様子ですし、もはや廃部になったも同然でしょう。OB共は、100年以上の歴史を持つこの合唱団の灯を絶やしてはならないとばかりに、事ある毎に「現役生の復活」を叫んでますが、「現役団員が減少しているのは今の若者が集団行動を苦手としている所為だ」などと言っている限り、到底復活は無理というモノです。今はあんた方が現役だった昭和時代とは違って、「後輩は先輩の奴隷同然」などという古い常識はもはや通用しない「21世紀」「令和時代」なんですよ。もう、こんなただ無駄に歴史が長いだけ腐った合唱団の灯なんかとっとと消しちまって、いっその事、合唱にしか生き甲斐を感じられない哀れなOB共だけで勝手に合唱団を作ってろよ、と思うのですが、既に作ってるのでした。ただ、そのOB合唱団のHPは、震災コロナの影響もあるのでしょうが、一向に更新されていません…。同様に、私からOB会費をふんだくろうと企んでやがったOB会のHPも、マヌケな事に、Yahoo!ジオシティーズがとうの昔にサービス終了した事も知らんと、消えてしまってました…。まあ、ネットに詳しくないジジイ共が作ったHPだからね、しょうがないね。

 ところで、OBの中には、「生きてきたあかしを残す」と称して、何十年も前の、自分が現役だった頃の合唱団の定期演奏会等の映像をつべに上げている人が居るのですが、たかだか学生時代の数年間の合唱団での活動が「生きてきたあかし」だなんて、ひょっとして何か不治の病にでも罹ってるんですか…? しかし、この合唱団に在籍していた時の事は、少なくとも私個人にとっては「生きてきたあかし」どころか、むしろ「砂の中に埋めるべき黒歴史」以外の何物でもありませんでした。

 

 さかなクンは、新聞に掲載されたコラムの中で、中1の時に小さな部活動の中で起こったいじめを、「海の中では仲良く群れて泳いでいるメジナの群れが、狭い水槽に入れられるとその中の1匹を攻撃し始める」事に喩えて「小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう」と、いじめられている子供たちを励ましていました。そう、私にとって、この合唱団、ひいては仙台における学生時代は、まさしくその「狭い水槽」に他なりませんでした。就活の際にも、応募した企業のほとんどからおめーの勤めっトゴ無ェがら!!仙台弁)」と言わんばかりにお祈り(私は「ご健勝」と呼んでました)を喰らいまくった事を機に脱北してから20年以上が経った今、あらためてそれを実感しているところです。

 まあ、上京してからも、はからずもブラック企業に入ってしまって、この合唱団の団員共と同様にその会社の社畜と化していた社員共からフルボッコを受けて追い出されたり同人活動では頭の固い連中から難癖を付けられて排除されたりといった目にも遭いましたが、それしきの事、この合唱団、ひいては仙台という「狭い水槽」で遭わされ続けてきた目を思えば、屁でもありませんでしたよ。そういう「忍耐力」を身に付けられただけでも、この合唱団に居た甲斐はあったというモノです。そうとでも思い込まないと、私がこの合唱団で過ごした期間が、無意味な物になってしまいますからね…(泣)。

 

(追記:後日、大学のサークル一覧のサイトを覗いてみたら、この合唱団が『休部』と表示されてました…あぁ、やっぱり。もう一つのサークル一覧(統一しろよ…)では「しっかりと活動を行っています」などと書かれてたりしますが、「活動を行って」る割には、OB合唱団のサイトも、現役生の公式ツイッターも、ちっとも更新されてませんねぇ。掲示板も、teacup.のサービスが終了した事も知らんと、放置されたままでやんの。)

 

(追記その2:そして、もう一つのサークル一覧の方でもようやく『休部』の方に表示されるようになりましたが、何故か「しっかりと活動を行っています」との文言は残ってたりします。まあ、このコロナ禍で、活動したくても出来ない状態が続いている事でしょうし、ここは、辛うじて表示されている公式ツイッター上で、正式に廃部の宣言をした方が良いと思うのですが…。)