(;@Д@)「助けて! 朝日の売上部数低下が止まらないの!」。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

 朝日新聞が、創業以来最大の赤字に陥り、早期退職者も相次いでいるそうです。朝日によって事ある毎に酷い目に遭わされた身としては、正直「ザマァwww」としか言いようがありません。

 私が実家住まいだった頃は、ウチは朝日を購読していました。何しろ、親父筋金入りのサヨクだったモンでして(大学に進んでいたら、間違い無く学生運動に入っていたでしょうね。私も「ノンポリ」呼ばわりされた事がありましたし)、私も姉も、その影響を強く受けて育ってしまいました。おかげで、仙台の地方紙である河北新報を購読していた周囲の連中からは、バカにされっばなしでした…

 私がアンチ朝日になったのは、例のサンゴ記事捏造事件がきっかけでした。サンゴが傷付けられた一面の写真を見た時は「こりゃ酷い」と思ったモノですが、その捏造が明らかになった後の朝日の対応は、お粗末そのものでした。この件についての朝日による誌上での謝罪文では、「サンゴが傷付けられた」事にかこつけて、日本人を「精神の貧困の、すさんだ心」などと罵倒した事については、一切謝罪していなかったのです…。また、親父が定期購読していた週刊朝日の誌上で、レコ大を受賞したWinkディスりまくられていたも、私のアンチ朝日を決定付けました。

 そして従軍慰安婦報道。1991年から翌年にかけて、この問題についてのキャンペーンを大々的に展開していた朝日でしたが、そのきっかけとなった吉田清治怪しげな証言に対しては、例の『ゴー宣』を始めとして、各方面から疑問や批判が相次いでいました(あの頃の『ゴー宣』はまだマトモだったのになぁ…遠い眼)。その証言が2014年になって捏造であった事が判明した事を受け、池上彰氏は同誌の連載において「朝日新聞は謝罪すべきだ」とする批判記事を掲載しようとしたところ、朝日によって差し止められてしまいました。これを受けて、池上氏はこの連載を中止しようと申し出たところ、朝日は慌ててその記事を掲載すると共に、ようやく謝罪する事になったのでした。「恥の上塗り」とはこの事です。

 1990年代前半当時は、どうしたワケか新聞の遅配も相次いで、親父が私に「早く持ってくるように電話しろ」と急かした事もありました(自分で電話しろよ…)。これを機に、私は親父を粘り強く説得して、朝日の購読を取り止めさせたのでした

 それから、上京して浦安の第1プラントで一人暮らしを始めるようになったある休日の事、カレーを作っていたら、「」という名前の朝日の拡張団員(名前は契約時のハンコから判明しました…ま、本名かどうかも怪しいモンでしたがね)が勧誘にやってきたのですが、当然断りました。しかし、「契約するまで帰らない」などとぬかしていたモンですから、カレーの鍋に火を付けたまま「契約しろ」「しない」の押し問答の結果、強引に契約を結ばされたのです。おかげでカレーは真っ黒焦げに…。、手前ェ、火事になったらどうするんだよ!?(怒)。 翌日、朝日の販売所に解約苦情を入れに行ったのですが、そこの販売員は解約には応じてくれたものの、苦情に対しては「拡張団はうちとは関係無い」などとぬかす始末。思わず、販売所に火を付けてやろうかと思いましたよ。その後も何度かカツカンに遭ったのですが、この時の経験があったモンですから、悉く撃退しました。こうした新聞拡張団に就くような手合いは、新聞の販売部数が減る一方の現在では、NHKの受信契約の委託社員となって、同様の手口で脅して回っている様子です。そんなヤカラを居なくしてくれるかと期待されていた「NHKから国民を守る党」は、現在では、選挙でへずまりゅうなんか公認してたりする体たらくですしねぇ(泣)。

 時は流れて2009年、朝日の巧みな世論操作によってミンス政権が誕生しましたが、その政権運営能力はこれまたお粗末なモノで、国民は「悪夢の3年間」を味わうハメになりました…。よりによって、このミンス政権の3年の間に例の大震災が発生しましたしねぇ。結局、2012年末の総選挙でミンスは大敗北を喫し朝日にとって目の上の瘤である安倍首相の政権は、歴代最長を記録する事になりました

 2014年に福島第一原発事故の「吉田調書」を入手したと主張していた朝日は、「所員の9割が吉田所長の命令に違反して撤退し、菅(かん)首相(当時)がそれを阻止した」などと報道していました。このスクープに対して誤りがあると指摘していたジャーナリストの門田隆将氏に対して、朝日は訂正・謝罪の要求と、「法的措置を検討する」との内容証明を送り付けて脅していましたが、結局謝罪するハメになったのは朝日の方でした。上記の慰安婦問題についての謝罪といい、まさにこの2014年は、朝日にとって屈辱の年となりました。

 

 冒頭のリンク先の記事では、「朝日が凋落したのはデジタル化の波に乗り遅れた事が原因である」としていますが、それだけではありますまい。上記の他にも多々存在した捏造報道や、事ある毎に日本をディスりまくりやがる中国・韓国寄りの報道姿勢。ネットが発達した現在、オールドメディアと化した新聞社による、そうしたバイアスが掛けられた記事が嫌悪されるのは、自明の理でしょう。最大の購買者層であった、ウチの親父みたいにサヨク掛かった団塊世代が、悉く世を去りつつある中、朝日の黄昏は、当然の帰結だったのです。あとは、倒産を待つばかりだな…。