私は虐待していた母親、だけど | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

【私は虐待していた母親なのだろうか】ー。

ネット記事を読んで
溢れ出る涙を止められなかった。



育児に関する記事だった。

取材を受けた方は生後6ヶ月の息子を布団に投げつけ、
何度も手を上げてしまったらしい。

それでも児童相談所の対応は
「保健所や児童館に行ってください」
というものだったらしい。

なんで?
なんで一時保護されないの?

素直な疑問だった。



私は虐待していた母親だ。
そう思って生きてきた。

私は離婚するまで子どもたちが2度一時保護されている。

1度目は、
息子を妊娠中、娘に暴力を振るったから。

離婚のきっかけとなったのは
私が息子を殺しかけたかもしれないから。

当時私が住んでいた愛知県は
全国でも数少ない
児童相談所と警察が情報共有されている都道府県。

その影響もあるのだろうか。

私はいとも簡単に子どもたちと引き離された。

だから、
子どもに手を上げてしまっても一時保護されないということ自体が、
にわかには信じがたい。



私は日常的に子どもに暴力を振るっていたわけではない。

それは断言できる。

休みの日には必ずどこかへ連れ出し
児童館や子育て支援センターにも常連だったし
夜は21時には寝かせていたし
それなりに頑張っていたと思う。

なのに何故、
私は子どもたちと引き離されて
この人は今も一緒にいられるのか。

それが分からない。



行き着いた先は
【私が精神疾患を持っているからなんじゃないか】
というところだった。

精神疾患を持っていると、
虐待のリスクが高いらしい。
(どういう理論なのかは分からないが)

確かに私は
離婚する前年の夏に
措置入院もしている。

措置入院で警察のお世話になって
その時の児童相談所の対応は
「暴力を見せることも虐待の一つですので今後このようなことがないように」
というものだった。

この時から児童相談所には目を付けられていたのだと思う。



精神疾患を持つ人は、
母親になってはいけないのだろうか。

私は、
公的援助は受けられなかった。

訪問看護は主治医に
「あなたは精神病じゃないので利用できません」
と断られていたし

家事ヘルパーは夫(元夫)に
「お金がかかるなら自分で頑張ってほしい」
と言われて使えなかった。

でも、
そんな環境を諦めて受け入れてしまっていたのは他の誰でもない私だ。

主治医を変えるなり、
頑張って元夫を説得するなり、
そういう努力をできなかったのは私だ。

私は、疲れていた。

そして、
孤独だったのだと、思う。



私は、羨ましいのだと思う。

子どもに手を上げてしまったことを笑い話にできる人達が。

私は、
警察と児童相談所を巻き込んで離婚した。

【虐待していた母親】の烙印を押された。

それが、
どうしようもなく悔しいのだと思う。

もし私が精神疾患を持っていなければ
あの日息子を無理にでも保育園に行かせていれば
あの時家庭相談員の方に連絡しなければ

タラレバを考えればキリがないけど

同じように子どもに手を上げて
どうしてあの人は今でも子どもと一緒にいられて
私は引き離されてしまったのか

納得できる日が来るんだろうか。



【母親失格】

そう思って生きてきた。

育児に正解はなくても
不正解はあると思っている。

私の育児は不正解だったのだろうと思う。

でも私は
今でも子どもたちのことを愛している。

きっと
一緒に暮らせる日は来ない。

それでも

【私は虐待なんかしていない】

そう思いたい、
それが本音なのだと思う。

羨ましい気持ちはなくならない。
黒い気持ちもなくならない。

でも

子どもたちを愛している気持ちは、誰にも負けない。

そう思えるようにはなってきた。

今の私は
養育費を送ることくらいしか何もできないけど

それでも。

いつかまた子どもたちに会えた時に、
胸を張っていられるように。

私は私が笑顔でいられるように。

それが今の私にできる、
一番の育児なのかもしれない。







気分を害された方がいらっしゃったらごめんなさい。

いつも読んでくださり、
ありがとうございます。

コメントの返信遅れていて申し訳ないです。



明日は穏やかに過ごせますように。