一年前の私と今の私。 | ASDとともに

ASDとともに

ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

保護室生活、25日目。

何となく、
一年前の自分は何を考えていたのだろうと思って、
一年前の記事を読んでみました。
2018年2月17日の記事。



父の懐の深さに触れた日。 | ASDとともに

https://ameblo.jp/manya0211/entry-12353697445.html



この時の私は
やっぱり軽躁状態だったのだろうと思う。

「一年間地元で仕事頑張って子どもたちのいる県に戻るんだ!」

と張り切っていました。

障害者雇用で仕事もすぐに決まり
何でもできると思っていた。

今のこの状況、
9ヶ月も入院しグループホームに入ってて
仕事どころかデイケアにも行けてない。
毎日死にたいとばかり考えてる。

一年後こうなっているなんて
思いもしなかった。

私は、
子どもたちの元へ帰りたいのだろうか。

子どもたちに会いたいけど
会いたいだけで育てたいわけじゃない。

子どもという人一人の人生に、
責任なんて取れないから。

私は、
「たまに会って遊んでくれるお姉さん」
でいい。

「母親でありたい」
と今の私が思うのは
あまりにも危険な気がしている。

子どもたちは、
いつまでも子どもじゃない。

母親を必要とする時期は
いつまでなんだろう。

いつまで経っても、
っていうのが正解かもしれない。

私も母とはいろいろあったけど
いなくなったら寂しいし。

私は愛情を表現するのが苦手だ。

愛情だけじゃなくて、
どんな感情でも、
表現するのが苦手だ。

だから子どもたちにとって私は
「何考えてるかわからない怖い存在」
だったのだろうと思うし

「まにゃの機嫌が悪いのはいつものこと」
と元夫にも冗談交じりに言われていた。

一年前、
頑張ろうと思って
1000キロの道のりを超えて
地元に帰ってきて。

私はもう、
失えるものは全て失ったと思う。

だからこれからは、
よくなるだけ。

【子どもたちに会いたい】

その思いだけで
私は前向いて生きていける。
気がしている。

一年後、
子どもたちの元へ戻れてるとは思えないけど
作業所なり障害者雇用なりで
仕事できてればいいな。

まずは小さな小さな目標から。

今の私の小さな目標は
「毎朝顔を洗うこと」
です。笑

この一年間、いろいろあった。
そしてこれからの一年間も、
きっといろいろあるのだろう。

だけど、頑張ろう。
頑張りすぎないことを、頑張ろう。

一年前の自分、
お疲れ様。






午前中は友達に送るSyrup16gのCDと
それに添える手紙を準備してました。

地味にSyrup16gの普及活動してます。笑

気持ちは落ちぎみ。
リスパダール2mlを2回飲みました。

しんどいです。

だけど、
しんどいってばっかり言ってても何も変わらないから。

私は頑張らなきゃいけないと思ってます。
私は鬱病ではないし。

今はとりあえず
頑張りすぎないことを頑張る。

それに尽きるかな。

午後は何して過ごそうか。

午後も穏やかに過ごせますように。