私の中の誰かが息子を殺そうとした日。 | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

2018年1月25日。

私はこの日、
寝ている息子を殺しかけたのかもしれない。

この日の記憶が
ぶわぁーっとよみがえってしまった。

前日の1月24日は大雪で
この日の朝、
私は息子と一緒にベランダで雪だるまを作った。


息子は風邪を引いて病み上がりで
保育園を休ませた。

お昼ごはん食べて、
一緒にお昼寝をした。

はずなのに。

私の中の誰かが、
息子を殺そうとした。

市の家庭相談員の方に連絡したのが間違っていたのかもしれない。

もし、
元夫に【助けて】と言えていたら。



家庭相談員の方2名が家に来て
一人はあちこちに電話をしているようで
もう一人は私と世間話をしていた。

「まにゃさんの場合、子育てっていうより旦那さんとの関係ですよね。」

この一言が、
今でも忘れられない。



児童相談所の方が2名家に来て

「○○くん(息子)を一時保護します」

と言われたとほぼ同時に、
たくさんの警察官が家に駆け込んできた。

何台ものパトカーが家の周囲に停まっていた。

私は状況が読み込めずに
ただ呆然としていた。

「母親確保!」
「子どもは無事な様子!」

等と無線でやり取りしていた。

上着だけ着させられて、
息子の顔を見ることも出来ず、
私はパトカーに乗せられた。

そしてパトカーの中で事情聴取された。

私に精神疾患(解離性障害)があることは伝わっていたようで
「その時の様子は覚えているか」
「これまで子どもを殺したいと思ったことはあるか」
等を聞かれた。

そのままパトカーで警察署へ連行された。



警察署でも、
同じようなことを何度も聞かれた。

そして、
めちゃくちゃ怒られた。

「お前これで何回目だ!
    前回(2017年10月)から保健所には相談したのか!?
    お前のためにどれだけの税金がかかってると思ってるんだ!
    今すぐ実家に帰れ!  今すぐ帰れ!
    夫に迷惑かけると思うならもう二度と戻ってくんな!」

「都合が悪くなると無視か!」
と言われたので
「記憶がないことに対して何を話せばいいんですか」
と返した記憶がある。

警察署には、
3時間程いたような気がする。

その間、
警察官は私の母とも連絡を取っていたらしい。

というのも、
私のことに関して元夫が
「母親に連絡してください」
と丸投げだったかららしい。

元夫は
「もう離婚するんでいいです。」
とだけ繰り返していたらしい。

途中保健師さんも来て
私と元夫と、
それぞれ話をしたらしい。

それまで別々で取り調べを受けていた、私と元夫。

私を迎えに来た元夫は
泣き腫らして充血した目で
「ご迷惑おかけしました」
と警察官に頭を下げた。

「迎えに来てくれてありがとう」
とだけ伝えた。

元夫の車に乗り
その足で児童相談所へ行った。  

私は別室で待機させられて
元夫と児童相談所の方が話をしていた。

この時も私は離人感が酷くて
自分のことなのに他人事のようにしか感じられなかった。

きっと、
元夫に児童相談所の方は
「お母さん(私)の状態が安定して養育できるようにならないと子どもたちをお返しすることはできません」
と伝えたのだろう。

児童相談所で
「お母さん(私)はお子さんが2人とも風邪引いて疲れてたんですよね。
    でもこういうことはこれからもよくあることです。
    安定して養育できるようにならないと子どもたちをお返しすることはできません。」
と言われた。

その言葉を聞いて元夫は
離婚を決意したのだろう。

児童相談所を出て
帰りの車中
元夫に
「明日、離婚届を出しましょう」
と言われた。

私は頷くことしかできなかった。

「養育費も慰謝料も何も要りません。
    もう二度と子どもたちに関わらないでください。」
そう言われた。



私は母に「離婚することになった」と連絡した。

母は
「話が違う!」
と憤慨していた。

母は警察官に
「とりあえず本人(私)の調子が悪いから迎えに来てくれませんか。
    本来なら旦那さんが連れて行くべきなんですけど」
と言われただけで
「離婚するなんて聞いてない!」
と激しく憤っていた。

私は離人感がある中
「そりゃそうだよな」
と納得していた部分も大きかった。

離人感が酷すぎて、
自分のことだと感じられなかった。



翌日、
それまで通っていた精神科に紹介状をもらいに行った。

元夫は
「お前まさか入院して逃げるつもりじゃないだろうな」
と疑い
診察についてきた。

無事に紹介状をもらう手続きをして
夕方、
離婚届を提出した。
娘(最初の夫との間の子)と元夫の養子縁組の手続きとともに。



無事に市役所での手続きが終わり
私と元夫は離婚し
娘と元夫は養子縁組した。

その晩、
「明日の俺がどうなってるかわからないから話を聞いてくれないか」
と元夫に言われて、
いろいろ話をした。

綺麗な別れ方ができたと思う。
お互いに散々泣いて泣いて泣いて、
でも最後は笑顔で別れられたような気がします。



私と元夫は、
本当に離婚しなきゃいけなかったのかな。





今日、看護師長さん(女性)と話をした。
話しながら、
ボロボロ涙が溢れてきた。

「主治医の先生は、まにゃさんと子どもたちを引き離すことで両者を守ってくれたんだ、って言いました。
    でも私は子どもたちを奪われた、という風にしか思えなくて。」

と言うと師長さんは

『主治医の先生の言う通りだと思うよ。
    まにゃさんが本当にお子さんを殺めてしまったら、それは取り返しのつかないこと。
    でもその前に引き離したことで、まにゃさんは苦しいかもしれないけど取り返しのつくことを背負っていくだけで済んだ。
    お子さんたちも、母親がいないって寂しさはあるかもしれないけどこれ以上傷つかなくて済んだ。
    まにゃさんとお子さんたちは児童相談所と警察に守られたんだよ。』

と言ってくれました。

散々泣いて、
ちょっとだけスッキリしました。







過去は変えられない。
一年経っても、まだ過去のことにはできない。

つらい。
苦しい。

苛烈すぎる記憶。

この記事書きながらも、
涙が止まりません。

だけど、
これからなら変えられる。

今なら変えられる。

思い出してしまう度に泣いてしまう記憶。

だけど、
私は前を向いて
今を生きていきたい。

いつかまた、
子どもたちに会えた時に、
笑顔で接することができるように。

頑張ろう。

今はつらくて悲しくて苦しくてどうしようもないけど、

頑張ろうね、私。







長文になってしまいましたが
私の昔話に付き合って、
ここまで読んでくださって、
本当にありがとうございました。