去年の今頃は | ASDとともに

ASDとともに

ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

この記事の始まりだったと思います。

私が調子を崩し始めたきっかけとなる、
家探しを始めた頃。

鬱の症状が出て、
とても苦しかった頃。

今の鬱と同じように、
食事もまともに摂れなくて、
体重がガクッと落ちたっけ。

この時も、
エンシュア(栄養剤)飲んでいました。

この頃は
精神科には通院していたけど
投薬治療はしていませんでした。
 
この時の鬱は
3週間くらいで自然とよくなったけど

今回はどれくらい続くかな。
  


この頃、というか
この引っ越しが、
私の大きな負担になったんだろうな、
と思います。

それまでは
投薬治療すら、
必要としていなかったんだから。 

障害者手帳も3級で
当時は「解離性障害」で持っていたし

措置入院しなきゃいけなくなるまで
調子を崩したのも
引っ越しが原因だったと思います。



あの時
元夫が契約を進めるのを
無理にでも止めていたら。

私は今も
家族と笑っていられたのかな。


 
考えても仕方ないけど
思い出しては
苦しくなってしまいます。


 
私は
幸せを見過ごしていたんだ。

マイホームに夢見すぎて
家を買えば
素敵な家があれば 
幸せになれると思っていた。

「今そこにある幸せ」に、
気づいていなかった訳ではないはずなのに。


 
調子崩して
措置入院して
薬漬けの日々に戻って
解離も頻繁に起こすようになって
今また入院してるなんて
 
誰も想像していなかっただろうな。



戻れるなら
あの時に戻りたい。

県営住宅で
狭くて古い家だったけど
私は仕事も出来ていたし
元夫と子どもたちと
幸せに暮らせていた。

それを壊したのも、
私でしかないのだけれど。
  


周りの人に
病気を理解してもらえてる人達を見ると
羨ましい気持ちでいっぱいになってしまう。  

元夫も、
元義両親も、
病気に理解はしてくれなかった。  

「私に面倒がかからなければいい」

そんな考えの人達だった。

だから、
病気が悪化したら、
捨てられた。

実家の母も、
私のベースとなっている発達障害には
理解を示してくれているけど、

双極性障害や
解離性障害については
腫れ物に触れるような扱い。  

私自身、
病気について分かってない部分が大きいから
しょうがないのかもしれないけど。


 
たった1年で、
ここまで変わってしまうなんて。

私は、
家族の元へは帰らないんだろうな、
という気がしています。
 
子どもたちには会いたいけど、
理解のない元夫や元義両親のところには
帰りたくない。

だから、
子どもたちのいる県での一人暮らし。

それが今の、
最終目標。



同じ季節が来て
同じように調子崩して

どうしても思い出してしまう。

考えても
しょうがないことなのにね。










今日も 
しんどい1日でした。
 
飲んでいる栄養剤、
クリミールの影響か、
お腹の調子が悪いし。

でも、
お風呂に入れてよかった。

相変わらずエネルギー不足な感じはあって
何もできないけど

コーヒー飲める気分にはなってきたので
最低のところからは脱したのかな、
って思います。

鬱状態の典型的な、
朝一番しんどくて夕方少しよくなる、
っていうだけな気もするけど。

14:30頃
レボトミン飲んだから
それのおかげなだけかもしれないけど。

明日はまた
少しでも笑えますように。