今晩の過ごし方
ハッ!木曜日は石川の担当でした。
申し訳ありません!!
個人的な都合でたいへん恐縮なのですが、
明日の朝一の講義で、犯罪心理学の放火犯プロファイリングについての
プレゼンがありまして、未だにヒーヒー言いながらレジュメをまとめている
始末でございます
また後日に振り替えてきちんとアップさせていただきとうござりまする
ではみなさま、Wカップのデンマーク戦などもございますが
どうぞお楽しみになってくださいませ。
私はこれからPC作業の修羅と化します!
途中で寝ちゃいそう・・・
神田の素敵なお店 神田ラガン訪問(2)
石川さんに引き続き、本日は、神田ラガン様が神田に出店された経緯についてご紹介いたします。
オーナーは、小さなころからご家族に連れられて、藪蕎麦やまつやでのお食事を楽しまれていたためか、midteenに海外生活をされていた頃、帰国した時にはまっすぐこの須田町の藪蕎麦やまつやに向かうことをご両親に要望されたそうです。その過程で日本にいるのだというモードに切り替えていたかのようであったとか。
そんな親しみと、池波文の影響もあったのか、自分にとってのあこがれの地というのが神田須田町であったといいます。またその心象は、住みたいまちからやがて仕事をしたいまちになっていったのだと。
そのような折、昨年の9月の、まだ交通博物館の建物も壊していないころ、ちらっと見えた、青銅色のファザードが印象的で、おりしも貸室の案内を見つけ、直ぐに不動産屋さんに交渉に訪ねたそうです。
吉祥寺のカナルというお店を5年経営してきて、新たなお店が軌道に乗るには2年はかかるなと考え、その間どのように続けていくことができるか思案されたオーナーですが、守りたいコンセプトとして、「まちからウクことはしたくない」とおっしゃいます。 そのうえで、
① 広告、雑誌掲載を手段とせず、口コミでファンを増やしたい。
このことは、どこにでもある商店街の一つのお店でありたいと、吉祥寺カナルで実行していらした営業スタイルです。この方法で今や日本全国にファンを持つようになりましたが、神田ラガンができたことで、吉祥寺には行くのが大変だけど、神田なら行きやすい、というお声もあるとか。
② 神田ラガンがこのまちに馴染むことをまずは目的とし、一年を経た後、自分たちで作ったHPを利用した営業活動を始めることにより、稀少性+信用から来るニーズにこたえてHP上で商品を見たお客様が実際に商品を確認することができる場所として、神田という場所は非常に利便のよい場所なのではないか(商品販売を積極的に取り組みたいという方向性にはもう一つの理念があります)。
など、その根底では、いかにお客様にお店を楽しみに訪れていただけるかを大切に考えておいでです。
オーナーは、神田須田町という町が、万世橋駅があったとか、高級注文紳士服のためになくてはならない場所であったという話を、6年ほど前に当時店じまいをむかえた附属屋から聞いたそうです。そういえば、オーナーが服飾の修業をされたのがロンドンの Savile Rowであり、日本語の「背広」の語源であるという話には笑えました(そんなころから、おやじギャグ的!!)。 Savile Rowは、オーダーメイドの名門紳士服店(テーラー)が並び、ウィンストン・チャーチル元英国首相やホレーショ・ネルソン元英国海軍提督、ナポレオン3世などの顧客を抱え、チャールズ皇太子など王族も通うことから「golden mile of tailoring」の異名も持つとか。
大家さんも附属屋であったことから、神田ラガンの誕生を一番喜んでくださったのが大家さんであったし、この地に迎えてくださるからこそ、この地のしきたりを一生懸命に伝えてくださるご様子。自分たちも地域を作る一員とおっしゃるオーナーの意気込みには、本当に嬉しくなりました。地域活性の起爆剤として、「よそ者、若者、バカ者」と、よく言われます。
「洋服屋に縁のあるまちに、もう一度灯がともったらいいなーー」とおっしゃるオーナーのロマンが実現しますように。
文責 法政大学大学院 政策創造研究科 修士課程2年 中野
神田の素敵なお店 神田ラガン訪問
木曜のブロガー、石川です。
先に中野さんからも案内がありましたように、
今回は、神田 須田町の服飾店 『神田ラガン』様を
ご紹介させていただきます。
店舗の場所は、旧万生橋駅のちょうど向かいに位置し
通りに足を踏み入れれば、すぐに青銅色のファサードに魅せられます。
外面とあわせて、内部のリノベーションも必見で、
天井、壁面、ショーケースなど、英国テイストと和モダンの組み合わせに
郷愁にも似た侘び・寂びを感じるのは私だけではないと思います。
扱う製品は、オーナー自らが、英国の民族服をモチーフに
日本人向けにデザイン・アレンジを手がけた服飾品です。
今回、神田ラガン様からお話を伺って、
私が最も印象深く感じたのは次の2点でした。
●神田はかつて、服飾材の問屋街として栄え、特に高級紳士服の製造販売業が集積していた。
●神田の商店では、店主と客とのやりとりが粋である。
どちらも、掘り下げようと思ったら、どこまでも興味が尽きないトピックスですので
本日はここまでにいたしとうございます。
神田ラガン様が神田に出店した経緯や、地域との関わり方などの
詳しいインタビュー内容については、次回以降に他のメンバーからも
アップさせていただきます。