入来院重宏のオフィシャルブログ -4ページ目

ちあきなおみ

久しぶりのアメブロである。

「アメブロ楽しみなんですが、最近忙しそうですね。」

ある知り合いからこんなことを言われて驚いてしまった。

驚くと同時に照れてしまい、そして実は少し嬉しかったりした。

考えてみれば本当に長い間書いていなかった。

せっかく楽しみにしてくれている方がいるということが分かったので、久しぶりに何か書くことにした。

 

そしてちあきなおみ



2週間くらい前になるだろうか

ある週刊誌の「ちあきなおみ」に関する記事を読んだ。

記事の内容を物凄く簡単にいうと、宍戸錠が義理の妹のちあきなおみに「もったいないからカムバックしてほしい」というようなことを言っていた、というような記事だった。

「カムバック」というのは、もう一度ファンの前で歌うことを指している。

 

記事を読んで2度驚いた。

ひとつは、ちあきなおみが宍戸錠の義理の妹だということ。

僕はこのことを知らなかった。

もうひとつは、宍戸錠が「好みもあるけど、俺は、ちあきなおみは美空ひばりよりも歌が上手いと思う」と言っていたこと。

僕は、ちあきなおみが「歌が上手い」という印象をもっていなかった。

別に歌が下手だとも思っていなかったけど、ちあきなおみの歌は「喝采」しか記憶にないし、しかも、この曲も何十年(大袈裟か)も聞いていないので彼女の歌唱力については、何の感想もないというのが正直な印象だった。

 

「義理の兄」の話だから思い入れも強いのだろうと思いつつ、それにしても「美空ひばりよりも上手い」というくらいだから、それなりには上手いことも間違いなかろうと思って、僕は確認のためにユーチューブでちあきなおみの歌を何曲か聞いてみた(見てみた)。

「喝采」

「冬隣」

「ねぇあんた」

「五番街のマリーへ」

「酒と泪と男と女」

「朝日楼」

「別れの一本杉」

「矢切りの渡し」・・・・


・・・驚いた。

実に驚いた。

感動した。物凄く感動した。

ちあきなおみは、天才だと思った。



「別れの一本杉」は美空ひばりも歌っていたので聴き比べたけど、

たしかに、僕も、ちあきなおみの歌の方が好きだし、「美空ひばりより上手い」と思った。

義理の兄の宍戸錠の話はけっして大袈裟ではなかった、と思った。

 

翌日、仕事中に事務長(兄)にこのことを話した。

「宍戸錠って、実はちあきなおみの義理の兄で、宍戸錠に言わせると、ちあきなおみは美空ひばりよりも歌が上手いっていうから、昨日ユーチューブでいろいろ聞いてみたら、たしかに俺もちあきなおみの方が美空ひばりより上手いと思ったよ」

と、翌日、仕事中に事務長(兄)にこのことを話した。

すると、兄は驚くべき話をした。

「俺はちあきなおみの旦那は宍戸錠の兄だと思っていた。彼は宍戸錠の弟だったのか。あの人(宍戸錠の弟)は物凄く怖い人だった。ちあきなおみは、そりゃあ歌はものすごく上手いよ。俺は昔、ちあきなおみのバックでドラムを叩いたことがあるけど、彼女の歌でお客さんはみんな涙流すんだから」

兄は若い頃プロドラマーだったけど、ちあきなおみのバックでドラムを叩いていたことは今回初めて知った。

「演歌は、一拍子」と兄は、ちあきなおみに演歌のリズムも教わったそうだ。

「化粧していない顔にはびっくりした。30年も前の話だけど」

そんな余計なことも言った。

 

ウィキペディアで確認したら、ちあきなおみが「喝采」で日本レコード大賞をとったのは僕が小学生5年生のとき(1972年)だった。また、「喝采」以降ビッグヒットに恵まれなかったということも、今回あらためて知った。

当時の子供の多くがそうであったように、僕も小学生時代は歌番組をよく見ていた。

今思うと僕が小学生だった1970年前後は歌謡番組が全盛だった。

いい歌手が大勢いて、いい歌がたくさんあった。

僕は中学校に入学すると、友人の影響でビートルズにどっぷり浸かってしまって、以後歌謡番組を見なくなったし、歌謡曲を聞くこともなくなってしまった。

 

僕は小学生時代に、きっと「喝采」以外の歌もちあきなおみの歌は聴いていたはずだけど、彼女の歌の上手さを知るには、どうやら僕は子供過ぎたようだ。

僕は、今年もうすぐ50歳になるけど、この歳になって今更ちあきなおみの歌に凝ることになるとは。

これもユーチューブのおかげである。

笑った驚いた

<書籍編>
「海軍反省会」(PHP研究所)は読みごたえのある本だった。
埋もれていた「元海軍関係者の証言記録」(カセットテープ)を本に起こしたもので、話し言葉を忠実に文章化していているため、多分に読みづらく、断続的に読んでいたため約500ページあるこの本を読破するのに半年近くかかってしまった。
専門用語が多くその点も難儀だったけど、普段人と話をしていても『この人は一体何を言っているのか??』という経験はたまにあるが、この本はその手の話もそのまま文章にしているので結構読んでいて辛いのだ。
反省会は昭和55年頃に行われたものなので、出席している元軍人さんで現在も健在でおられる人はきっといないと思う。
「あの戦争に勝っていたら陸軍が増長してもっと悪い世の中になっていた。負けてよかった」という元海軍の軍人さんの本音話が聞けて楽しい。
僕がとくに驚いたのは、「海軍が暗号機械を作成し、それが外務省へ、外務省から各外在公館へ、そしてヨーロッパのある国で1台盗難にあい、その模造品がアメリカに流れ、その後アメリカは日本の暗号文を全て解読することができた。暗号機械の盗難にあってもそのまま同じ機械を使い続けていた日本は情報の扱いが非常にお粗末だった」というくだりだ。
真珠湾攻撃の情報を事前にアメリカ大統領は掴んでいたというのは今では広く知られることだが、アメリカ側がなぜ暗号を解読することができたのか、その理由を今回この本で初めて知った。

<月刊誌編>
2月号の月刊日本の佐藤優さんと文芸評論家の山崎行太郎さんの対談には笑ってしまった。
「誰が国家の主人か」というテーマで佐藤さんは「小沢氏は、国家の主人は国民代表である国会議員だと考えていますが、官僚は、難しい試験に受かったエリートである自分たちが国家の主人だと思っています。官僚からしてみれば、国民そのものが有象無象のバカばかりなのだから、その代表である国会議員などバカが煮詰まったようなものとしか考えません。しかし、政治家は選挙で排除することができますが、官僚は排除することができない。その点で、官僚が国家の主人となるほうがはるかに悪い結果をもたらします。」という。
国会議員はバカが煮詰まったようなもの(笑)佐藤さんは本当に面白い表現をする。
「地頭(ぢあたま)がいい」というような表現を最近よく耳にするけど、この「地頭」という言葉も佐藤さんの造語だ。あまり知られていないようだけど。
佐藤さん自身が(元)官僚なので、この人の語る官僚論は説得力がある。

<週刊誌編>
今号の週刊新潮の渡辺淳一さんのコラムは面白かった。
銀座の高級クラブに飲みにいったら有名作家である自分のことを知らない自称「文学ホステス」がいて驚いたという。
有名作家である自分を知らない「文学好き」に会って驚くという著者に僕はまず単純に驚いてしまった。

そのうえ「僕を知らない文学好きっていったい何者」という思い上がった内容のコラムを嫌味なく載せてしまうという大物ぶりにさらに驚いてしまった。

有名人の心境は有名人になってみないとわからない。

ところで、最近の週刊誌はやたらと有名人のコラムが多い。
週刊誌がブログ化しているといった感じだ。
くだらなかったり、たいして内容のないものばかりで、とくに週刊文春がひどい。
ちなみに僕は、週刊誌のコラムは渡辺淳一さん(週刊新潮)と小林信彦さん(週刊文春)しか読まない。たまに時間があるときは林真理子さん(週刊文春)も読む。
数えてみたら週刊文春にはコラムが全部で10本以上あった。
週刊文春は路線を変えないとそのうち困ることになると思う。

讃岐でグラン・トリノ

たまに心が震える経験をする

一昨日は出張先の高松のビジネスホテルの有料放送で、クリント・イーストウッドが昨年作った映画「グラン・トリノ」を観た。
衝撃のクライマックスだった。

今まで何千本と映画を観ているけど、クライマックスで最高に興奮した映画は同じクリント・イーストウッドの「許されざる者」だった。
「そうだ俺はウィリアム・マーニーだ。女子供だけでなく動くものはすべて撃ち殺してきた・・」全身が総毛立った。

これは「許されざる者」の焼き直しか!?
高松東急インのホテルで寝そべり、ドキドキしながら観ていたけど、まったく見事に裏切られた。
またまたイーストウッドにやられてしまった。

不覚にも泣いてしまった。
イーストウッド凄すぎる。

僕が中学生の頃(1970年代中頃)、アメリカで一番人気のある俳優がイーストウッドだった。
当時、イーストウッドといえば「ダーティー・ハリー」だった。
バート・レイノルズとイーストウッドがアメリカ人気俳優の両横綱だった。

俳優の評価を「どれだけ集客力があるか」という尺度でみればイーストウッドは最も成功した俳優の一人だ。
映画俳優が監督になって成功したケースはたくさんあるが、最高の俳優が最高の映画監督になったケースは初めてだろう。
イーストウッドは空前にしてたぶん絶後の映画人だと思う。

おもしろいのはイーストウッドの本物の才能をいち早く見抜いていたのは本国アメリカの批評家ではなくフランスの映画批評家であることだ。
僕の記憶では1980年代後半、イーストウッドが「バード」を作った頃、既にフランスの映画批評家界では「世界でもっとも重要な映画監督」としてイーストウッドの名を挙げていた。
当時のアメリカで(もちろん日本も)そこまで映画監督としてイーストウッドを高く評価していた人はいなかったと思う。
評価が著しく高まったのは数年後に「許されざる者」でアカデミー賞(作品賞・監督賞他)を受賞されて以後だ。
 
フランスは映画発祥の国だけあって映画を観る目が高い、眼力がある批評家や監督が多い。
有名な話だが、ヒッチコックは現在、世界の映画史上最も偉大な映画監督の一人に位置されているけど、これはフランスの映画監督や批評家の評価がきっかけである。


イーストウッドにはこれからもたくさん映画を作ってもらいたいし、できればアカデミー主演男優賞を獲得してもらいたいなぁ。