入来院重宏のオフィシャルブログ -5ページ目

物理学者か将棋指しか

10代に聞いた「就きたい職業」
男 1位会社員 2位公務員 3位プログラマー
女 1位芸能人 2位保育士 3位医師

今朝たまたまTVを見ていたらこんな発表をしていた。
会社員と芸能人
同じ時代の男と女でこんなに違うとは。

男子諸君は現実的でよろしい
女子も夢があってまたよろしい

そういえば
小学校の卒業前のある日
ホームルームの時間だったか
担任のS先生が皆に「将来の夢を言いましょう」といいだした。
僕は「物理学者」と言った。
「それが無理なら将棋指し」とも言った。
非現実的であるとはちっとも思わなかった。
実に子供らしい子供であった 。

同級生の男子は「プロ野球選手」と言う子が多かった気がする。
「サラリーマンになりたい」と言う子はYくんただ一人だった。
卒業以来36年以上会ってないけど夢を叶えたろうか。

密かに思いを寄せていた女の子は「薬剤師になりたい」と言った。
「やくざいし」?
僕はヤクザと関係がある職業かと思ってとても驚いた。
「ほー」と感心しているS先生を見て『ヤクザと関係ない立派な職業なんだろう』とわかった。

みんな元気だろうか

S先生は僕らが卒業した年に教師を辞めて夢を叶えることになる。
彼女は女性でエベレスト登頂に初めて成功した日本女子登山隊のメンバーの一人だった。
僕らの先生はもの凄く大きな夢の持ち主だったことを後で知ったのだった。

それにしても会社員かたや芸能人とは

夢で会えた

昨日変わった夢をみた。
もっとも夢はたいてい変わってるけど。

昨日見た夢はこんな夢だった。
8月9日に友人Sが亡くなり、その「偲ぶ会」を9月7日にすることになったという。
僕は友人と偲ぶ会の打ちあわせをするのだが、その打ち合わせの相手が亡くなった友人Sだった。

8月9日は日曜日だった。
その日、僕は高校時代と大学時代の友人7人と昼間からビールを飲んでいた。
皆でげらげら笑いながら楽しい酒だった。
ちょうど同じ頃友人Sは一人さびしく死んでいった。

僕にとってはもっとも長いつきあいの友人だった。
彼にとっては唯一親友と呼べる友人が僕だった。
僕が何をやっても褒めてくれる友人だった。
友人Sがいなかったら僕はこの仕事をしていなかった。
僕は親友らしいことを何一つしてあげられなかった。

祖父や祖母は素直に死んでいった。 (ように見えた。)

静かに死を受け入れていった。 (ように見えた。)
4人のうち3人が90歳くらいまで生きた。
僕は『どうも老人になると生に執着しなくなるようだ』と漠然と考えていたけど、その感覚はきっと平均年齢を超えるくらい歳をとらないとわからないだろうと思っていた。

友人Sが死んで僕の中で大きなものがなくなった。
『この喪失感はなんだろう』何を失ったのかとしばらく考えていた。
わかった。はっきりわかった。
僕の中でなくなったものは「生の執着」だった。

100あった生の執着が80くらいになった。

そんな感じだ。

僕のまわりから大事な人が亡くなると
僕は「生の執着」をそのつど失うのだろう。

大事な人がいなくなるということはこういうことなのか
と、そういうことがわかった。
しみじみと理解した。

「差別と日本人」を読んで

昨日「差別と日本人」(野中広務・辛淑玉)という本を読みました。
僕は野中広務さんが部落出身で苦労されたということは、5年くらい前に読んだ魚住昭さんの本(野中広務差別と権力)で知っていましたが、今回の本は辛さん(在日)との対談で、辛さんの身の上話につられて野中さん自身「誰にも話さなかったようなことをつい口にしてしまって」いて衝撃的です。
野中さんや辛さんは「世の中のために」とずっと差別と闘ってきたけど、その間、彼らの家族は出自や出身地のために差別や虐めを受け苦労を重ねてきました。
野中さんや辛さんが有名になればなるほど家族は苦労を味わうことになりました。
野中さんは、孫の入学式や卒業式に出られず、妻は自分とは絶対に外出してくれない、「自分に返ってきたものは何だったのか」と83歳になった野中さんは途方に暮れています。

「家族だけは守らなきゃいけない・・・と思ったんですよね。私たち・・・」という辛さんの最後の言葉が悲しすぎます。

生まれてこのかた「本物の」差別を受けたことがない僕には、野中さんが、可愛がっていた故郷の後輩に裏切られて「4日間くらい僕は七転八倒した」という激痛はたぶん死ぬまでわからでしょう。


たぶん多くの人が、僕と同じようにわからないでしょう。


差別問題はいつか時間が解決してくれるのかもしれないけれど、現実的に今も苦しんでいる人々がいます。
差別問題をなくすことは難しいけれど、少しでも今よりよい世界を作るためには、僕ら一人一人がそういう残酷な現実を直視し、差別を受けている人たちの苦しみを自分の身に置き換えて想像することしかない、そう思います。