おはようございます。腸セラピストで養腸家のmanoです。
そんな風に思えるようになって、何年も経過して。
大切にするのは当たり前で、当たり前すぎて、特別なことじゃなくなっていた。
なんだか腹八分目でたべることと似ています。
大切にするって、その事象に対して おもいやる ってことで。
それは、なによりじぶんのために 無理させない ってことで。
必然的におなかいっぱいになるまで食べることが減り、
腹八分目が当たり前の習慣化になり、特別だとおもわなくなる感覚。
大切にすることが当たり前になって、氣づきにくくなってたことに氣づいたんです。
氣づくきっかけは、この数ヶ月受け続けているロルフィングのセッション。
10回コースのうち、半分が過ぎました。
カラダとココロの変化、ごっつー起きるのをかんじております。
(にぶいなりに、変化があります・笑)
最終結論はまだ出せませんが、このロルフィングというセッションが
じぶんには合っているんだとおもいます。
ロルフィングのセッション中、ロルファーさんが毎回わたしのカラダを大切に扱ってくれます。
おそらく(というか、間違いなく)、ロルファーさんは訪れるクライアントさん全員のカラダを大切に扱ってくれてはります(←ここだけなぜか関西弁)
↑
じぶんだけじゃなく、全員に区別なく大切にする。平等に。
ここがわかってないとね、大変。勘違い事件がおきるのよ・笑
この人さんはワタシのこと何でもわかってくるワ・・・キュンって勘違い・笑
※“わかるだけ”だったりして
と その感情は
に書いてます。
ロルファーさんがカラダを大切に扱ってくれるおかげで、
大切にすることの大切さと感覚を想い出したわけです。
それは、オーラソーマ受けているときとおんなじ感覚 でした。
大切にする、されるってなんてココロがふくふくとするんでしょう。
他人にしてもらうのって心地よい感覚。
それでいて、相手がいないと大切にできない、大切なことがワカラナイなんておかしな話で。
この大切にする・される感覚を、じぶんでふだんから呼び起こせるよう、
カラダとココロを大切にしつづけたいなぁとおもうわけです。
んで、腸はココロとカラダのどっちにもかかわっているから。
カラダ(腸の機能)を大切にしたら、ココロ(腸の内面要素・精神性)に響き、
ココロ(腸の内面要素・精神性)を大切にしたら、カラダ(腸・機能)に現れます。
わたし、大切にすることを、大切にし続けたいです。