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     四国八十八ヶ所‐86番志度寺


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     四国八十八ヶ所‐84番屋島寺
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84番の屋島寺の狸の後ろの  同じく屋島寺での、お札を

お稲荷さんです          手にしての写真です

これ以降の写真は、別途記事で載せて行きます。

http://ameblo.jp/mannosakura/entry-11315093192.html



今回も娘が全てを段取りしてくれた。

娘が見つけたのは、一泊二日朝食付き(バイキング)羽田から四国高松の往復の航空券¥30,400円のフリープランでした。


そして、その前にネットで色々と調べてくれて、かなり難航していました。

「86番、84番、金毘羅宮」この三つを一泊二日の日程に組み込むには、日帰りの四国八十八ヶ所逆回りツアーと金毘羅宮とを別々に行くか、一日タクシーを借り切って行くかのルートしか公式ルートでは見当たらなかったので、頭を抱えていました。

なぜなら、金額にすると旅行代金30,400円プラス、バスツアー等が35,000円~80,000円ほどかかるので、一番安く見積もっても一泊二日で60,000円オーバーになってしまい、私チトラと娘と姪とで良い案は無いかと頭を抱えていました。

そんな中、娘は便利屋という職業にひらめきを感じ、ネットで調べると何社かあったので、全てに「10,000円で86番、84番と順番はどちらでも構いませんが、金毘羅宮の案内を一日していただけませんか」という見積もりのメールを各社に送りました。

そうすると、全部からメールが来ましたが、一番最初の方が対応が早く値段も安く、とても柔軟な内容の本文を返して下さったので一番最初にメールを下さった方に即決しました。

お願いをすると便利屋さんから返信が来て、「値段は一日10,000円のガソリン代は別料金でお願いできますか。高速代など別途費用はチトラさんでお持ち頂けますか」との返信で、数社はガソリン代5,000円プラス高速代など別途料金と書かれていたので、ガソリン代が2,000円なのは手数料を入れても良心的なのでお願いしました。

※(↓以下、実際の娘ぶたうさぎの便利屋さんに宛てたメールの一部抜粋です)

チケットが取れましたので
下記の行程で、お願いできますか?

・羽田7月24日7時20分発~高松空港8時35分着
8時35分から、遍路86番、84番(順番は、どちらでも構いません)を回っていただき
そのときに、写真を撮ってもらいたいと思います。
遍路が終わったら、平家や戦国時代、歴史文化などの観光を
1万円の料金内で、していただけますか?
最後は、オークラホテル高松まで送り届けていただけますか?

・別途、燃料費は、大丈夫です。

当日、乗せていただける車の前での写真も、撮っていただけますか?
ブログに、掲載したいので、ナンバープレートは、映らないように撮っていただいても大丈夫ですし
また、写真に載っていても、ブログ掲載の際、編集しますので、大丈夫です

86番の写真を、もう一度、撮りに行くのが
今回の旅行の目的です。

そして、正規のコースでいくよりも
・便利屋さんを使った、コース巡りの紹介を
今回、していけたらと思っているので、よろしくお願いいたします

http://ameblo.jp/mannosakura/
↑こんな感じで、シルバー向けに。また、年齢関係なく四国八十八か所の遍路日記(ツアーや、便利屋さんを使った遍路紹介)を、できたらと思っています。

よろしくお願いいたします

チトラ(ここは本名を入れています)



そうすると再度、便利屋さんから依頼了承のメールと、別途メールに当日予定される86番、84番のほかに歴史・文化の入った観光日程表が届きました。

それを私と娘と姪は見て驚いた。

分刻みの凝りに凝った説明と現地写真を織り交ぜて歩行時間、滞在時間全て詳細に分かりやすく書かれており、修学旅行や旅行会社の日程表よりも分かりやすく内容の濃いものに三人とも驚嘆しました。

そして、行く時は地元の有名なおせんべい屋さんで千円のおせんべいを持っていくように娘から言われました。

と言う事で、全て話が決まり朝一番の飛行機で立ち、四国高松に8時半頃着き、空港の出口に行くと便利屋さんがB4くらいの大きさの紙に「チトラさま(ここは本来の名字です)」と書かれた紙を両手で胸のあたりで広げて持って迎えてくれた。

ほかにもたくさんカードを持っていた方がいましたが、なぜかすぐにお願いした便利屋さんが分かりました。

そして私は娘に言われたおせんべいをその場ですぐに便利屋さんに渡すと、恐縮しながら嬉しそうに受け取ってくれた。

私は便利屋さんを一目見て、今日は楽しい観光になりそうだと感じました。

便利屋さんのその時の服装は、まるで親戚の人を迎えにきたというようなラフな格好と態度でしたので、私も気が楽になりました。

とても話しやすい感じでした。


そして、車に乗る前に私と便利屋さんはお互いに一服し、同じ喫煙仲間だと思い気が楽になり、道中はお互いに車の中で一つの灰皿をまわしながら親しくタバコを吸っていた。


車に乗り、タバコを吸いながらたわいない会話を楽しんでいる途中、86番に行く途中のコンビニで車を止めてもらい、私は便利屋さんに何を飲むかと聞くと、麦茶と答えたので麦茶三本とコーヒーを一缶買ってあげ、気易く色々と私は話しかけた。

「お宅は地元の人か?」(以後チトラ赤表示)

「はい、地元です」(以後便利屋さん青表示)

「んー、じゃあ先祖代々か?」

「先祖代々です」

「フンフン(鼻息)、先祖代々ならご先祖様は何だったの?」

「先祖は平家です」

「えっ!?先祖は平家か?じゃあテレビ見てるのか?」

「いえ、見ていません」

「平家の出なら気になるんじゃない?あんたが平家の出だという話し誰から聞いたの?」

「母から聞きました」

「私はブログ『チトラの生い立ち』で先祖代々は平家だという事を書いています。ふーんんん、母親から聞いたというのなら本当だなあ。私も母から聞かされて育った。私の母も父も信州だ。」と言うと、便利屋さんは驚き、

「えっ!?信州のどこですか?」

「母は今岡だ。敷地内に先祖代々達は眠っている。また、かつては人をたくさん助けてきた行者も出している。(この先祖代々の行者は真言密教の行者で安倍 晴明の教えも入っている)。また、墓の作りは一般のものではなく、そういった墓の作りでまだあるが、半分くらいは寺に預け、残りの一番の最初からの古い半分を私は見ている」と話していると、便利さんの携帯が鳴り、話しは中断したが、友達が多いのかちょこちょこ電話がかかってくるようになった。

そうこうしている内に86番に着き、私は本堂をお参りして、写真を撮らせようとしたら、また電話で話していた。

やっと長電話が終わり写真を撮ってもらったが、私はこの写真の一件を便利屋さんに話していたのと、ブログに載せることも了解してもらっていたので、私は便利屋さんに三枚ぐらい撮れば全部消えるという事はないだろう。一枚ぐらいは残るだろうと言って三枚撮らせ、今度はワラジの門の所で撮ってもらおうとしたが、便利屋さんもこういう事は初めての事で分からなく、何人かの参拝者に聞いたが分からなくって、やっと巡礼者の人と会い、ワラジの門の場所を教えてもらい、そこでも三枚撮ってもらって、私はこれだけ撮ればと一安心しました。

あとは、もう気も楽になり、出来る限りたくさん歴史と文化を見せてほしいと便利屋さんに言った。

そして、懐かしい84番に到着して挨拶をしてから写真を三枚撮ってもらいました。

そして、隣にある狸の家族の所に行こうと思ったら、便利屋さんが私もそうですが、汗をだらだらにたらしながら、必死の様相でお札箱をかき回して何かを探しているので、私は何してるの?と聞くと、便利屋さんは、ちょっとまっててね。と言うので、私はしようがないので、しばらくの間、汗だくになりながらお札箱の中の何かを探している便利屋さんの姿を見ていました。

まもなくして、便利屋さんは手に銀色のお札を3枚持ち、私の所に来て、「銀色のお札はこの88ヶ所を三十回まわった人のもので、大変なご利益がある」と言って私にくれたが、また、お札箱のところに行って探し始め、全部で六枚銀色のお札を見つけてくれたが、またお札箱の中を探し始め、今度は赤いお札と緑のお札一枚ずつを持ってきたので、私はもういらないと便利屋さんに言ったが、便利屋さんはこれも回数は少なくってもご利益があるからと言われると、汗だくになって私の為に探してくれたその好意に断れなくなってしまい、頂く事にした。

そして、写真を撮るとき、貰った銀色のお札六枚と赤のお札1枚と緑のお札1枚を手に持ち、家族の写真を持ってたぬきの所で写真を撮りましたが、その時、銀色のお札が六枚と赤と緑が一枚ずつ、それが分かるように広げて便利屋さんも写真に写るように直してくれ、家族の写真とともに写真を撮り、便利屋さんは子供が出来づらいので、狸の家族を子供が出来るようにたくさん触りまくり、私も触りまくり、それから蓑山大明神様に二人で挨拶し、私は戻ろうとしたら、便利屋さんに呼ばれ、狸塚もあるよといいよと言われ、また二人で行き挨拶し、戻ろうとするとまた呼ばれ、この奥にもあるよと言われ見ると、たくさんの赤い鳥居の先に小さいほこらのようなものがあるので、私は鳥居をくぐっていって見て驚いた。

お稲荷さんではないか。

なんで、お稲荷さんがこの蓑山大明神の後ろにあるのかと聞くと、分かってるのか分からないのか分からないような感じでニッと笑っていたので、驚きながらも便利屋さんと二人でお参りして、鳥居をくぐりながら戻る途中で、私は便利屋さんに狸の後ろだてがお稲荷さんとは驚いた。でも、考えてみると狸も狐も本当は仲が良いんだよねと笑いながら戻ろうとした時、便利屋さんが蓑山大明神の隣にある七福神を見て、せっかく来たんだから七福神の所でも写真を撮りましょうという事で、お札の数と色が分かるようにまた広げて写真を撮ってもらい、戻ろうとしたらまた便利屋さんが今度は七福神の前にある大師堂のお札箱を探し始めた。

んーーー、また始まったかと思いながらしようがないなあと思いながら待っていると、便利屋さんがうわずった声で、「みつけた!みつけました!」と興奮しながら金のお札を持って私の所に来て、「チトラさん、このお札は滅多に目にする事も出来ない、この八十八ヶ所を五十回まわった人のお札です。すんごいご利益があり、たくさん幸せになってほしいから、これ持って帰って下さい」と持って来たので、私も驚いて、そんなご利益のあるすごいお札を貰ってもいいものかと思いながらお札の裏を見ると、お札には『持っていかないでください』と大きく書かれていたので、私は便利屋さんに、「これは持っていかれないよ。持っていかないでくれと書かれたものを私は持っていかれないから」と私は言ったが、私は、写真ぐらいなら撮っても構わないだろうと思って、持っていかないとは言ったが、がっかりしている便利屋さんに、「写真に撮るくらいなら大丈夫でしょう」と言って、写真を撮ってくれるように言うと、便利屋さんは興奮しながら喜んで写真を撮ってくれました。

金のお札を右手で一枚持ち、左手には六枚の銀のお札と赤いお札と緑のお札が全部見えるように直してもらって写真を撮ってもらいましたが、便利屋さんはこの金のお札だけの写真を一枚別に撮りましょうと言って撮ってくれて、金のお札は大師堂のお札箱に返していました。

それから、蓑山大明神の前にある売店で狸の家族のキーホルダー

を二つ買って、その場で二つ自分の鍵に付け替えてから、瑠璃宝池(別名血の池:ここは壇ノ浦の戦いで源氏が平家を斬って血まみれになった刀を洗って血の色に染まった池)に行きました。

私も便利屋さんも平家の一門として、じっと池を見ながら共に心の中で黙とうした。

それから写真を撮り、安徳天皇社にてお参りして、それから洲崎寺に行きお参りしていると、また便利屋さんがお札箱を探し始め、今度は赤いお札を一枚持って来たので、私も好意でやってくれていることが分かるだけに断りづらかったけれど、はっきりともうお札はいらないと断った。

残念というような顔をしていたけれど、しようがないでしょうね。

それから今度はお昼になると混むので、早い昼食を屋島では有名なうどん屋さんという事で、便利屋さんがうどんのわら家に連れてってくれました。

この時の代金は私持ちで、二人で900円でした。

写真を撮る事は忘れてしまいました。


そして、今度は四国村を表から見てから、談古嶺にて源平の古戦場『壇ノ浦』が一望できる所で便利屋さんから分かりやすい説明を受け、そこで写真を撮り、それから駒立て岩・祈り岩を見に行き写真を撮り、それから特別名勝栗林公園に行き、あまりの素晴らしさに驚きながら見とれながら暑さも忘れ、蓮の花の前で写真を撮ってもらったり、歩き続けていましたがあまりの暑さに我に帰り、私も便利屋さんも滝のように流れでる汗でびしゃびしゃになっていたので、二人で喫茶店に入りお茶をしながら、次にどうするか話していた時、便利屋さんもこの暑さでこんなに早く今回のスケジュールが終わると思っていなかったので、「これから金毘羅様に行ってみましょうか」という事で、私は「ぜひお願いします」と言ってはみたものの、36度の気温の暑さで上がれるかなー?まあ、上がれなくても挨拶は出来るから行こうという事で、金毘羅様に行きました。


金毘羅様に着き、お土産屋さんの駐車場に車を入れた時、そこの女将さんが傘をさして行きなさいと言って傘と杖を私たちに貸してくれ、二人で杖をつき傘をさしながら金毘羅様の階段のところへ行くまで、私はこの暑さでは上がれないから、階段の所で写真を撮って、金毘羅様の御堂のある方に向かって挨拶をしたら戻るという事を便利屋さんに言って、写真だけ撮って戻ろうとしましたら、便利屋さんは地元の人だから何回も金毘羅様に上がっていて、「上がるとしたらチトラさんの場合は朝5時ごろ上がるのがいいよね。上がるとしたら5時じゃないと今はちょっと無理だよね」と言われました。

そして、写真を撮り終えた時、「せっかくここまで来たんだから、ちょっと上がれば国指定重要文化財の歌舞伎場である旧金毘羅大芝居(通称金丸座)を見に行った。

その時、チケット売り場の人が中で写真も撮れるし、ガイドと説明もしてくれるという事を聞き、色々と楽しい説明を聞きながら花道で写真を撮ってもらったり、舞台の上で写真を撮ったりしながら、奈落を見て回ったりして、しばらくそこで休憩し参道のお土産屋さんをあっち見こっち見しながら写真を撮ってもらったり、喫茶店へ入ってお茶をしたりして駐車場に戻り、そこで借りた傘と杖を返し、お土産を買って、一つは便利屋さんにやって、ホテルまで送ってもらう事になりました。


そして、車の中で私は便利屋さんに、「ホテルに着くまでに精算したい」と言い、値段を出せると10,000円プラス2,000円の総額12,000円というので、私は幾らかつけようとしましたが、便利屋さんは12,000円以外は受け取りませんでした。

そして、今日あった事全てをブログに載せるけどいいか?ともう一度再確認した所、便利屋さんはどうぞ載せてくださいと言ったのでこのブログを書く事が出来ました。


そしてホテルに16時半に着くと、便利屋さんは私がまごつかないように帰りの空港までのバスの時刻表に全部しるしをしてくれて持ってきてくれた事に感動と感謝をしていいというのに玄関まで便利屋さんを見送りました。


そして、喫煙可の部屋に着いて一服した時、暑さのせいで疲れがどっと出ているにもかかわらず、食欲だけはすごくお腹が空き、ホテルのディナーバイキングに行くとステーキもついて1,500円の所、宿泊者という事で1,350円で食事できました。

※ステーキは19時からでしたので食べれませんでした。


でも、部屋に戻ってから36度の暑さは冷房に慣れた身体の私にはすごくきつく、身体の暑さがおさまらず、クーラーを強にして部屋の電気を全部つけっぱなしで寝てしまいました。

途中目が覚めると真正面が鏡だったので、とても怖くなり鏡には背中を向けて寝ました。

また起きると鏡の方を向いていたので、怖かったので背中を向けて寝なおしの繰り返しでした。


朝起きて、食事を済ませタクシーを呼んでもらい、高松駅のバス乗り場まで乗せてもらって、昨日便利屋さんにしるしをしてもらったバスに乗り、700円のバスで空港まで行き、飛行機に乗って帰って来ました。


羽田に着くと一旦娘に電話を入れ、これから帰る事を伝え、電話を切り、家へと向かいました。

駅に着くとタクシーに乗り、家までの途中に近所の商店街の真ん中にある寺に父と母の眠っている寺があり、車の中から帰って来たよと挨拶をして家に帰りました。

家に着くと、娘に「今帰って来た」と電話を入れました。

娘はすぐに二階の部屋から降りてきて、娘に写真屋にすぐ行ってくると言いい、すぐに写真屋に現像に行きました。


そして、出来てきた写真を二人で見て、旅の説明をしながら86番などの確認をし、一通り見て一服した所で、お札の話しに戻り「赤いお札、緑のお札、銀色のお札、金色のお札」の話しを再度娘に説明しました。

すると娘が、「じゃあ玄関にお札を飾った方がいいんじゃない?」と言って娘は二階の自分の部屋へ戻りました。

本当の意味で一服をしていなかったのですが、私は玄関へ行き、息子夫妻孫と私と娘の写っている写真を片づけ、玄関の飾り台を綺麗に片づけ、荷物を整理してお札を確認した所、銀色のお札6枚と赤いお札1枚と緑のお札が無く白のお札になっていたので、びっくりして気が動転してしまいすぐ娘に電話を入れ、「不思議な事が起きたんだけど、、、ちょっといいか?」と渋る娘に下に降りてくるように言いました。

そして、娘が降りてくると玄関の飾り台に飾ってある銀色の6枚のお札を見るように言い、娘はお札を見て「なにが不思議なの?」といぶかしがるように聞いてきました。

娘は銀色の御札を見ていたので、その下の御札を見て見ろと語気を強めて言うと、娘は銀色の御札をめくりあげたので、「違う、銀色お札の半紙の裏だ」というと、娘もかりっとしながら半紙をめくると赤と白の御札が各一枚ずつ出て来て、「だから何なの?」と娘は語気を強め言ってきました。

私は、「不思議な事が起きたんだ。その御札何色に見える?」と娘に言うと、娘はすっとんきょうなことを言いましたが、お札の背景の色だと説明すると「白と赤のお札だよね」と念を押してきました。

私は、「これ白と赤の紅白のお札だよな?赤と緑のお札じゃないよな?」と娘に念を押すと、娘もいぶかしがるように「白と赤のお札だよ、それがなに?なにが不思議なことなの?どこが不思議な事なの?」と聞いてきたので、先ほど話した話と同じことをもう一度娘に話しました。

便利屋さんが「緑と赤のお札一枚ずつと銀色のお札6枚持って行ってください」と私に渡してくれ、私もそのお札を確認し、手帳にはさんで持ってきました。

便利屋さんは、白いお札だけはよけて色のついたお札だけを私に持ってきた事を話しました。

だから、白いお札が混じりようがないんだということを娘に言いました。

白いお札の由来が分かると、娘は納得して、「84番のお寺だよね?狸のお寺だよね?」と確認し、私は相槌を打つと娘は、「ちょっと84番の由来を調べてみる」とパソコンの前に座りました。

インターネットで志度寺の由来をざっと見ていると、悪いような現象の事は書いていなかったので、また志度寺の狸が「平成ぽんぽこ」に登場する禿狸だと知り、「じゃあ、平成ぽんぽこ見て不思議な事があったという事で終わりにしよう」というので、私は、「銀のお札のご利益がめでたくあるようにと、赤と緑のお札を紅白にしてくれたんだなあと良いように解釈したほうがいいよなあ」と娘に言うと、「そうじゃん」という事で部屋に帰って行きました。


そして、翌日ぽんぽこを見てから次の日の午前中に便利屋さんにお礼の電話と今回の事を話すと、便利屋さんは驚いて大きな事で、「そんなバカなことが!?」と言ったきり電話の向こうで絶句してしまいましたので、私は、心配しなくてもいい。二枚の半紙の1枚目に銀色のお札を一列に並べて6枚貼り、1枚目の裏になるように2枚目の半紙に赤と白のお札をはりつけた事を言いました。

そして、「別にお札をはってから変な事があったわけじゃない。何も変わらないし。心配しなくても良いですよ」と言って、今回の事はブログに載せるけど、それでも構わないかと聞くと、便利屋さんはどうぞ載せて下さいと言ったので、私は後はまた四国に行った時はよろしくと言って電話を切った。


本当に不思議な出来事が四国八十八ヶ所巡りでは2回続きました。

こんなことは私の人生において、数少ない経験の一つとなりました。



四国八十八ヶ所巡り補足

7月の下旬に行ったので長期夏休みに入った為か若い男性の方が一人で閏年の為か「四国八十八ヶ所逆打ち」をしている人が随所で目につきました。


これで四国八十八ヶ所巡りの打ち切りがやっと完成しました。

長い間「四国八十八ヶ所巡り」を読んで頂いて、ありがとうございます。

次から止まってしまっていた「チトラの回想録」を順次更新していきますので宜しくお願いいたします。





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            高野山 慈尊院


四国八十八ヶ所を無事に打ち切れたお礼を高野山へ行く前に、最後に一人残った若い方一人が日程設定の為、別れを告げた。

皆で見送って、一期一会とは言え、本当に別れる事が惜しかった事をバスの中で、残ったツアーの人たちと話していました。


だいぶん時間がかかりましたが、まず慈尊院に着き参拝してから高野山奥の院へ行き、お礼の参拝をして金剛峯寺、大師協会と参拝して、宿坊に着いて、バスから降りた時、驚きました。


別れを目いっぱい惜しみつつ帰ったはずのあの若い方が嬉しそうに手を振っていました。

私達は皆、若い方が気が変わって一緒に泊るのかと皆一瞬思いましたが、そうではなく、若い方は恐らく空海様に無事に四国八十八ヶ所巡りを打ち切れた事と何かを得た事のお礼を言わずには帰るに帰れなくなって来たと誰しもすぐに分かりました。

若い方は、何度も満足しきった嬉しさで別れを再度おしみつつ何度も何度も後ろを振り返りながら、帰って行きました。


私たちは宿坊に着き、食事までの間にお風呂に皆さんは入りました。

私は宿坊に着く前に、高野山のお風呂の水がいかに良いか皆さんに話しました。


以前に、高野山には十数年前に用があり、行った事があります。

その時、私も宿坊という所はそれまで泊った事が無く、娘も姪も泊ってみたいという事で、三人で雪の残る二月に高野山に行き、一泊のつもりが娘と姪の好きな歴史文化がありすぎて、話が盛り上がり話題が尽きず、二泊泊り雪の残る二月の高野山を色々散策したり、写経をしたり、夜はお風呂を楽しみました。


私達はそれまでに、色んな温泉地に行っていましたが、高野山のお風呂は今まで私達が味わった事のない、何とも言えない気持ちの良い癒しさを与えてくれ、肌もすべすべになり、良いお風呂でした。

※この時のお風呂は硬水だということを知りました。


その話しを私は、残ったツアーの方々に話していたので、皆さんも期待していました。

そして、期待以上のお風呂に皆さんは大喜びして、二回もお風呂に入っていましたが、私は、四国八十八ヶ所を無事に打ち切れたという安堵感で疲れがどっと出て、寝ようとしましたが、一緒の相部屋の女性達が私が寝るまで、何回も良いお風呂だから入りなさいと言われましたが、私は持ってきた荷物を明日宿坊から送る為、荷物を整理することでいっぱいで、寝てしまいましたが、夜中にトイレに起きた時、部屋にはトイレが無く、共同トイレまで廊下を歩いて行った時、トイレの前に一人分のスリッパがあったので、私は誰か先にいると思って、安心して入りましたが、人の気配は全く無く目いっぱい怖い思いをしながら用をすませましたが、本当に怖い思いをしました。


朝になり、本堂で皆で食事の前にお経をあげるので、その前に私たちのツアーのほとんどの人が、宿坊から持ってきた荷物を送るため、その場所に荷物を持って行き、そのまま本堂に行きました。

相部屋の女性二人がだいぶん遅れてきたので、どうかしたのかな?と思って、聞こうと思いましたが、お経が始まっていたので、終わるまで聞きませんでした。

終わってから聞くと、二人の女性は、部屋のカギが無く、探しまわっていて、遅れたと言って私が間違えてキャリーバッグに入れたのではないかと言われ、私は絶対にそんなことは無い、あなた達のほうこそ自分で間違えて自分のキャリーバッグにあわただしくやっていたので、まぎれて入ったんじゃないの?と言って、私も二人の女性も荷物をもう預けてあるので、また開けて調べようなんて気は三人ともさらさら無く、らちが明かず、私は絶対自分ではないという自信がありましたが、面倒くさくなって、私が寺と話して弁償するという事で話が付き、私は管理者の御坊さんに話しにいき、私が無くしたんだから、弁償しますと御坊さんに言うと、御坊さんは弁償はしなくてもいいが、家に帰って荷物を開いた時、鍵が出てきたらすぐ寺に送るという事で話がつき、私も相部屋の女性達も話しがついたという事で、またいつもの子供のような楽しい感じにお互いになったとき、三人で笑いながらお互いに、あんたの荷物の中に入っていると言い合って笑いあっていました。


それから、宿を出て大師協会で真っ暗闇にして神秘的な空間の中で、法話を聞きました。

この時、大部屋の一部屋に集められ、窓のカーテンを全て締め切られ、真っ暗やみの中、視界ゼロの中、お坊さんの法話が始まり、私たちは何も見えない中、お坊さんの法話に聞き入りました。とても神秘的な体験をさせていただきました。


その後、大師協会を出て、壇上伽藍を見て、14時30分の飛行機に乗る為、伊丹空港へ向かいました。

伊丹空港に着いた時、夫が仏教徒で奥さんがキリスト教の方は、違う所で降りるので、バスの中に残り、オヤジと呼ぶ相部屋の男性二人とアニキと呼ぶご夫婦と私達相部屋三人の合計七人が伊丹空港で降り、仏教徒の夫とキリスト教の奥さんに別れを惜しみ、一緒にいたことで楽しかった事を感謝し、万感の思いで別れを告げました。


それから、バスの運転手さん、乗務員さん、先達さんに楽しかった事と感謝一杯のお礼の握手をして、私達は飛行機に乗りました。


そして、羽田に着いた時、私は、オヤジさんと呼ぶ男二人の方と、アニキと呼んでいるご夫婦と五人で品川駅へ行き、品川駅でそれぞれに別れをおしみつつ、解散していった時、私は感極まって大きな声で「オヤジさーーーん!!」「アニキーーー!!」と叫んでしまいました。


離れる中でかすかに御二方から「おおーーーう!」という事が聞こえてきた時、何という素晴らしい別れがたい一期一会だったなあと胸がじーーーんと熱くなった。

私は、タクシーに乗り、親兄弟の眠る寺に行き、無事に帰れた事への挨拶をし、後は、神社仏閣に挨拶を済ませて、家へ帰りました。


そして、翌日荷物が着きましたが、疲れていたので二~三日

そのままにして、その後、荷物の整理をしていた時、寺で無くしたはずのカギが出て来て、心臓が止まりそうなくらい驚き、バクバクしながら、まさかまさか自分だったとは思わなかっただけに驚きました。


朝9時前に気が付いたので、すぐに寺に電話を入れて謝り、郵便局から速達で送りました。


そして先ほどのお風呂の話しで思い出した事があります。

それは、私と娘と姪と一時休みのたびに目的の無い旅をし、予約をしないで旅館とかホテルに泊まっていた時、修善寺で人力車の車夫の人から私は声をかけられ、「最近修善寺も外国のお客さんが増えてきた。ところで、お宅は何人?」と聞かれ、私も娘も姪も笑いが止まりませんでした。


それから、はとバスで花と食事と温泉を楽しむ日帰りのツアーに一人で行った時、食事の時、私はホテルの仲居さんから外国人の席の方へ呼ばれたので、私は日本人ですと言って、はとバスツアーの人たちの所へ戻っていった事があります。


それから、最後の四国八十八ヶ所82番から結願の88番の間に、ケーブルカーで降りるとき、他のツアーの人たちからいきなり私に、「あなたはどこの国の方ですか?」と聞かれ、私も私のツアーの人たちも吹き出して、大笑いし、私は日本人です。と答えました。

私は時として、外国人に見られる時があります。




そして、話しは変わりますが、この七月二十四日と二十五日は四国八十八ヶ所の八十六番の写真を再度撮りに行くため、ペタやコメント、なう、きたよはお返しできませんが、帰ってきたら又、宜しくお願いいたします。


この旅から帰って来ましたら、八十六番の旅のエピソードなどもまた書いていきますので、宜しくお願いいたします。



宿泊先:地蔵院宿坊

お風呂も大変良く、精進料理も美味しかった。朝のお経も良かったです。若い御坊さんもたくさんいましたが、みな親切でとても教育の行きわたった環境なのだろうと思いました。


最後に、

四国八十八ヶ所に行く際、ツアー参加などならば、

①袈裟などはツアー会社でも買えますし、空港でも買えます。行く先々で買えます。

②長期滞在の場合は、コインランドリーが各所にありますので、三日分くらいあれば大丈夫だと思います。私もツアー中、毎日バスのツアー仲間と一緒に洗濯をしていました。

③カッパは必要だと思うので、百円ショップで1~2枚買えば十分だと思います。

④靴はスニーカーのほうがいいと思います。

⑤湿布薬などはお持ちになったほうがいいと思います。

⑥各寺院にお札は二枚必要なので、前もって自分の住所、氏名を書いたお札を用意していますと、とても楽に四国八十八ヶ所をまわれるようになると思います。


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第八十二番 根香寺     第八十三番 一宮寺

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第八十六番 志度寺      八十七番 長尾寺

(写真が無い件は下記の挿話書いてあります)


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          ↑第八十八番 大窪寺↑



今日は結願


朝から皆さん気分爽快


あと七寺の参拝で終わりなので、だいぶんゆっくり参拝することも見ることもできました。

それぞれに、この十一日間の四国八十八ヶ所巡りの苦しさ、厳しさ、美しさを感動と感謝の気持ちでいっぱいで、穏やかに楽しく参拝してまわり、結願を果たす事ができました。


八十四番に行った時、たぬきのお父さんとお母さん、沢山の子供たちの大きな石の石像があり、その様はおっぱいをすっていたり、お父さんお母さんの傍らにいたりと家族愛にあふれていました。

その石像を見た時、他のツアーの人たちも私たちも、あまりのかわいさと何とも言えない心の安らぎを、それぞれの人が感じていたみたいで、触らずにはいられない心境になり、皆でなでたり触ったりして癒され、時間があったのでしばらくそこでゆっくりして、狸たちの親子を楽しみました。


いつものように楽しくもあり、苦しくもあり、険しくもある参拝道中、それでも難なく無事にまわり。着いた時、仏教徒のご主人とキリスト教の奥さんに、写真を一緒に撮ってほしいとお願いしました。

そして、四国八十八ヶ所最後の結願寺に

「子供に見せたいので、三人で撮りたい」とお願いして、快く承諾して頂き、三人で写す事ができました。

この時、私は今まで運動不足で苦しい中、もしかしたら結願は出来ないのではないかと何回も思った事もあり、結願を果たせて記念写真まで撮れ、思わず感無量の熱い涙がこみ上げてきました。


そして、結願した時に祝うつもりで用意していた紅白のハンカチを、ちょっと小さいけど広げて撮りましたが、光線の加減であまり綺麗には写らなかったけど満足しています。

※結願を果たせたら自分自身を祝うつもりで、紅白のハンカチを持って行きました。私が用意した紅白のハンカチには、「四国八十八ヶ所を打ち切る事に打ち勝つ」意味を込めて、ハンカチを持って行きました。一枚のストライプの紅白のハンカチでした。


そして、十一日間の行程を経て結願を果たし、感無量で四国八十八ヶ所を打ちきれました。

ホテルまで向かう長い時間、バスの中では、この日楽しかった狸の話しになり、皆さんの青春時代や子供の頃の狸映画の話しで盛り上がり、それぞれの方が良い思い出があったみたいで、バスの中は和やかで幸せなムードに包まれ、何とも言えない良い気分に浸っていました。

私も、子供の頃、良く狸映画を見ました。

それには、美空ひばり、花菱アチャコ、その他色々な俳優が出演していて、当時まだ子供だったので、私も楽しかったことだけが浮かび、バスの中では何とも言えない幸せに酔いしれていました。

本当に良い気分でした。
※八十四番の狸のお寺で、皆何とも言えない幸せな気分と癒しを得て、結願までの道中が一気に楽になりました。


あとは、四国八十八ヶ所を無事に打ち切れたお礼の高野山への参拝と宿坊一泊でのブログ更新で終わりですので、宜しくお願いいたします。



ホテル:南淡路ロイヤルホテル

四国八十八ヶ所での宿泊最後のホテルも、施設、食事、お風呂、サービス全て本当に良かったです。


コインランドリー:2台設置





【このブログ掲載についての挿話】


※チトラ談

ブログの草案をノートに書こうと思って、四国八十八ヶ所巡りの八十二番から八十八番の写真の枚数を娘からもらっていたので、確認した所、八十六番の写真が一枚無いので、娘を呼び、「どういうことだ!」と問いただした。


★以下、私チトラの会話は赤色表示、娘の会話は青表示


「ちゃんと写真の裏に番号を打って渡した!」と娘が言うので、「八十六番が1枚無い!」と言って、考えさせ探させたが無く、娘も頭にカチンときて、「そのフィルムだけ現像に行った方が早い!」と七十九番から結願までの二十数枚のネガを渡され、写真屋に持って行き、直ぐその場で現像してもらい、出来た写真を娘に渡して確認してもらうと、それでも八十六番のお寺で撮った写真は無く、ここでも私と娘は言い争いになり、娘は私に、「お母さん、本当に写真撮ったの?!撮り忘れたんじゃないの?!」と言われ、「じゃあ、なんで写真はあったんだよ」と言い返した。

すると、娘は「そういえば八十番台の写真が確かに見つからなくて、他の写真を探している時に見つかったんだ。だから、一番から七十八番までのネガのどっかに紛れ込んでると思うから、お母さん、これ一番から七十八番までのネガだから」と手渡され、私もカチンときて険悪な感じの中、雨の中、汗だくになりながら、私はもう一度写真屋さんまで飛んでいきました。

そして、写真の現像が終わり、「出来たてのほかほかの写真ができたよ」と娘に手渡し、娘が「本当にあったかい」と言いながら、一番から七十八番までのお寺に番号をふっていきました。

私も娘の後ろで、あーだこーだ言いながら娘に番号をふらせつつ、全部の番号がふり終わった時、娘が「お母さん、やっぱり八十六番の写真がない」と言ってきたので、私は噛みつくように、「お前書いたんだろ!!」と一触即発の即発中だったので、語気を荒げて言うと、娘もまたまたカチンと来て、「お母さんも撮り忘れてないとして、私も確かに八十二番から結願までの写真を何度も確認して、写真の後ろに番号を振って渡しているから、八十六番がなかったら絶対に騒いでるいると思うんだよね」と娘が言ったので、私も、「お前の性格だったら絶対騒いでるよな」と言うと、娘が、「今考えられる事は二つだよ。お母さんも絶対撮り忘れてないんだね?」と聞かれ、私もカチンと来て、「バスを降りる度に真っ先に写真を撮るんだから、絶対に撮り忘れはない」というと、娘は、「私も何度も写真の裏に番号を振って確認しているから、写真は絶対にあったはずなんだ」と言い、「お母さんも写真を取り忘れていないとして、私も番号を振り間違えていないとして、ネガにも七十九番から結願までの二十数枚の写真にのっていないとして、考えられる事は一つだよね。」と振り返り私に言ってきた。

娘は、「だとしたらコレ、不思議体験だよね?!」と言ったので、私は、「不思議体験だな」と返した。

そして、この件は八十六番の寺を全部調べ、写真も調べ、由来も調べた結果、八十六番はブログ写真掲載無しという事で落ち着きました。

※娘ぶたうさぎ談

私ぶたうさぎは、母チトラに背中から「アルバムにしまってある写真と見比べて番号を振っていけ」「インターネットと見比べて番号を振っていけ」「お前解からない番号のお寺があっただろ、その中にないのか?」とお気楽発言にカチンときながら、一番から番号を探して行きましたが、本当に八十六番のお寺が見つからない中、私の頭の中は、「傘が無い」を「写真が無い、写真が無い、探しに行かなくちゃ、雨の中、写真を探しに行かなくちゃ」とエンドレスで鳴り響いていました。

次の朝(今日)、従姉妹のたんこぶ(今タイプを打っている私)に八十六番の大きな草履のあるお寺を確認してもらったのですが、たんこぶ自身もこのお寺に見覚えがないらしく、私自身は今日になってたんこぶが来れば全てはっきりすると思ったのですが、八十六番はどうやら本当に色んな意味で欠落しているようです。

ということで、娘ぶたうさぎは「ま、いっか」と言う事で終了します。



※たんこぶ談

これを打っている間、後ろ二人がちょこちょこ喧嘩をして、途中脱線が多く非常に迷惑しました。

誰か助けてください。

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早いものです。

いよいよ明日は結願。

この日もハードスケジュール。

でも、みなさん身体が慣れてきたみたいで随分軽やかに歩いていました。

ハードスケジュールの中、ちょっと時間が出来、お寺の中をいつものように冗談を言いながら皆で見学しているとき、いきなり目の前に真っ暗な壁、扉の無い開けっ放しの光のささない視界ゼロの入口があらわれました。


私はビックリすると同時に、この真っ暗で何も見えない入口の先が怖くなり、怖さを悟られないように(みんなを怖がらせないよう)して「アニキ」と呼んでいる人が後ろにいたので、「アニキ、先に行ってください」と言った。


すると、「アニキ」は、一瞬ひるんで「何言ってるんだ。お前が先なんだからお前が先に行けよ」と言ってきたので、私は、「アニキを差し置いて自分が先に入ることはできません」と言って嫌がる「アニキ」を力づくでドアの所に押し付け、押し問答になった。

アニキは死に物狂いで手足を突っ張り、私は先に進まなければいけないと思ったので、とにかくアニキを盾にして進んでいこうとこちらも死に物狂いで、アニキを一面の黒い壁で扉の無い真っ暗な部屋の中に押し込もうと必死でした。


アニキは何が何だかわからない状態の中、手足を必死に突っ張り、私はとにかく怖かったのでアニキを盾に先に入れて無事を確認してから入って行こうとこちらも必死でした。

そんな中、辺りが一面パッと明るくなり、真っ黒の一面の壁や入口の先が全く見えない真っ暗闇の部屋が、そっくりそのままなくなっていて、陽のさしている廊下になりました。


私とアニキは、ちょっと焦ってしまった。

なぜなら明るくなる前まで、一面の真っ黒な壁、そしてドアの無い入口の先が真っ暗で何も見えない通路が消えてしまい、得体の知れない怖さに襲われた。


内心焦りつつも平静を装いつつ、みんなの話題の中に戻って行きました。

※私たちはひと固まりだったのですが、一面の真っ黒な壁、扉の無い中は真っ暗闇のドアはどうやら私にしか見えなかったようです。

※アニキにもこの扉が見えなかったようなので、私が普通のドアも何もないただの壁にアニキを押し込んでいるようにアニキや他の人には見えたようです。


そんな私をみんなは、「何か見たな」と言う好奇の目で見ながら、「何か見たのか?」と聞かれたが、私はみんなが怖がるといけないので、すっとぼけて「なになに?なんなの?」と言って話題を変えた。


ですが、私自身どうしても先ほどの事が気になり、しばらくして私のそばを歩いていたアニキの奥さんにさっきのことをさりげなく聞いてみた。

「奥さん、あの廊下ははじめっからああでしたか?」と聞くと、奥さんは私に、「なにか見たの?」と言ったので、私は、「いえ、なにも見ませんがあんなに明るい廊下だとは思わなかったので」と不自然な返答をすると、奥さんは「だいぶ慌ててたみたいでしたが、あの廊下ははじめっからあの明るさだ」と答えた時、私は、考えました。


なんでも怖く思えばなんでもないものでも怖く見える。よく思えばいいんだと考えている時、過去にあったことを思い出しました。


子供達がまだ小学校へ上がる前、自分の子供と甥姪を十人くらい連れて『としまえん』に行った時、お化け屋敷があり、子供達が怖いものみたさでお化け屋敷入りたいというので入りました。

そして、お化け屋敷に入る時に入口で店員さんが、ニコニコしながら「奥さん、今日はお客さん少なくて暇なので、いつもよりうんとサービスさせていただきます」と言ったので、私も子供も「風船かお菓子かなにかくれるのかな?」と話しながらお化け屋敷の中へと入っていきました。


そして、お化け屋敷に入ったとき、子供たちを先頭に立て私は怖いので、後ろのほうにいました。

子供達は怖さでみんなビビってワアワアギャアギャア言っていたので、とにかく子供たちの背中を押して、「先に進みなさい」と促していると、誰かが私の肩を叩きました。

全身戦慄の中、驚いて後ろを振り返ると骨のお化けがいたので、思わず「ギヤアアアアアア」と叫び「こわいいいいいい」と叫びながら子供達をかき分け、我先に出口に逃げ出していくと、お化けまで追っかけてきてかぶり物を脱いで私に、お化けのかぶり物を脱いだ店員の人が大喜びしながら、「最高のサービスでしたでしょ」と言われた事を思い出し、私はこれは、みんなが子供のようになっていたので、四国八十八ヶ所からのサービスだと自分に言い聞かせ怖さを紛らわせました。

※このブログは姪に打ってもらっていますが、当時のことを思い出し娘と三人であまりのおかしさに笑いが止まらず一時中断せざるをえませんでした。

※母チトラのブログに足りないものがあるのでちょっと付け足します。この時、母チトラはトイレに駆け込みあまりの怖さでおしっこを漏らしてしまったので、パンツを洗いに行きました。夏だったので、ジーンズは自然乾燥させました。そして、このタイプを打っている姪も一緒におしっこをもらしてしまい、母チトラが自分のパンツと一緒に二人分洗っていて「だって怖かったんだもん!サービスってあんな馬鹿いやしねえー!サービスでお化けなんかつける馬鹿いやしねえー!」と言ってベンチにへたれこみ「まだ足がガクガクしてる触ってみろ!(幼い時分の私におしっこびっちゃりのジーンズを触らせました)この野郎ー!」と言っていたのが印象的でした。


またみんなに楽しい話題とひとときを提供してしまいました。

そして、参拝も終わり宿に着くまでの長い時間、バスの中で誰ともなくみんなが口ぐちに、「この四国八十八ヶ所巡りは大成功だ。これは企画も良かったけどバスの運転手さん、乗務員さん、先達さんも最高に良かった。でも、よくよく考えてみるとそれだけではこんなに楽しく参拝できるわけはない。これはやっぱり参加した人達が全員良かったからこういう風に楽しい四国八十八ヶ所巡りが出来たんだね」と最後は参加した人達がみんな良かったと言うことで気持ち良く納得するにいたった。

実に今でいう「ドヤ顔」でした。


そして、宿に着きみんなで食事しながら私はいつものようにぉ酒が飲めないので、食事が終わるとすぐ部屋にいきますが、この日は特に気分が乗っていたいたせいもありましょうが、食事が終わった私はみんなに最高のお笑いのハッパをかけました。

私はみなさんに向かってドスをきかせて、「野郎ども!女郎(めろう)ども!」と言って、着物の裾をパッとめくり大根足をチラッと見せ、「明日は結願最前線!突撃開始!心してかかれっ!」と言って肩で風切ってみんなの方をチラッと見て「ニッ!」と笑うとドッと大うけして笑いの渦が巻きあがり、座が最高潮に盛り上がった所で、部屋に帰って寝ていると相部屋の女性たちが大笑いしながら部屋に入ってきたので目が覚めてしまいました。

そんな私を見ながら相部屋の女性は大笑いしながら、私を小さな幼子に言うように「あんなことそんなことどこで覚えてきたの?本当にもう。」と言いながら喜んでいました。

そして私に、「みんな喜んで楽しんでいたわよ」と嬉しそうに教えてくれました。

こうして楽しくこの日も過ぎて行きました。


ホテル:かんぽの宿坂出

※食事もサービスも設備も良かった。


コインランドリー:3台設置


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前日、日程を終えた方々が帰り、後に残った人たちはご夫婦が二組と男三人の相部屋の人たちと私を混ぜた女三人で、計十人となっていました。

最後の高野山までは、一人若い方が四国八十八番結願で帰ることになっていました。


この頃には、残った皆さんは完全に打ち解けて冗談を飛ばし合い、和気あいあいでした。

夫が仏教徒で奥さんがキリスト教のご夫婦や他のご夫婦ともよく良く冗談を飛ばし合い、また苦しい参拝までの道中でもこのご夫婦の旦那さんの事を私は、「アニキ、アニキ」と呼んではふざけ合い忍者ごっこをしながら、「アニキ」も完全に子供に還り私を待ち伏せして不意打ちをくらわせたりして、周りの人たちも私とアニキのやり取りをみんな子供のように楽しんで見ていました。

※十四日間の全ての苦しい参拝道中はいつも苦しさが笑いごとに変わっていました。


そして、四国六十六番に来た時、なぜだか突然、色んな事が走馬灯のように頭の中に流れ、かつて私がある大企業に拾われ食堂の経営を任されていた時の事が強く思いおこされ、比叡山延暦寺の最澄様の教え「一隅(ひとすみ)を照らす」を身に付けていた大勢の誠実な方々にどのくらい助けられ守られてきたかということを強く思いだしました。


私はかつて、三十年ほど前の一年間に元夫Kの執拗な追い回しや常に十個くらいの問題を元夫Kに押しつけられていました。

この問題の多くは元夫KがS社の方と喧嘩をしたり、あることないことベラベラ喋りそれが問題になり、何度も会社を辞めさせられそうになることの繰り返しでした。

そして、自社の社員と私が喧嘩するように仕向けたり、会社の売上や金銭の出し入れ全てを元夫Kが取り仕切り、私に携わらせないように常に問題を色々とこじつけては私に降りかかるようにしていました。

これらを私一人で処理させられていました。

会社を閉める事になる最後の数年間は安定剤、睡眠薬を飲まなければ仕事が出来ないほどでした。


京都に精神的にずたずたになって疲れ切った神経を休めるために京都に五回行った事があります。

私は日曜日しか休めないので、日帰りで朝一番の新幹線に乗って帰りは五時ごろの新幹線に乗って帰っていました。

琴の音を聞きながら神社仏閣を帰る時間ぎりぎりまでお参りしてまわり、ピリピリになった神経を癒していました。


そしてこの五回目の京都日帰りの際、私はもう当分来る事が出来ない事を元夫Kの日増しに執拗になっていく精神的嫌がらせの中で悟っていきました。

今回が最後の京都日帰り旅行になるだろうなと覚悟したので、家を空けることに猛反対だった元夫Kに色々とされながらも強引に夫を押し切り京都に行きました。

この時、比叡山延暦寺に行き最澄様にお礼と感謝の参拝をせずにはいられなかったからです。

この五回京都に行ったという事で、私の精神もだいぶ図太くなったような気もしましたが、またずたずたにされることの繰り返しでもありました。

※これら元夫Kの事やS社の事は別テーマ「私の生い立ち」の方にチトラの回想録として詳しく書いてあります。


そして、経営している間に大きな世間、社会にも絶大なる信頼を持っているS社と最澄様の教え「一隅(ひとすみ)を照らす」に私自身助けられ守られている内に、別の社会からも世間からも信頼されている業種の会社を設立してある大手企業に入る事ができました。

これ全てがS社の信用と比叡山延暦寺の最澄様の教えの一つ「一隅(ひとすみ)を照らす」のお陰です。


なんで立って写真なんか撮れましょう。

私は思わずその場に膝をつき正座をし、両の手をついて石碑に座礼しました。

それを見てちょっと驚いている仏教徒の夫とキリスト教の奥さんに、私の気持ちを説明しました。

「これから撮ってもらうこの写真は感謝の気持ちでいっぱいの自分の気持ちを表したものです。とても立って撮って頂く写真ではありません。子供たちが私が死んだあとに姉弟でこの写真を見たとき、いかにS社と最澄様の恩恵を受けて大事にされてきた事か知って欲しいんです。そして、いつまでもS社に対しても最澄様に対しても感謝の心を持って、子供たちにこの先の人生を少しでも幸せに過ごしてもらいたいと思い、このような姿で撮って頂きたいと思います。」と言いました。


娘には、私が死んだあと姉弟でこの写真を見た時、手を合わせてS社と最澄様に感謝しなさいと言っています。



ホテル:オークラホテル丸亀

※サービスも設備もご飯もお風呂も本当に良かったです。

何度も書きますが、このツアーで泊った宿泊全てどこもかしこも良かったです。

コインランドリー:2台設置