闇屋から飲み屋にうつって、まだ私が幼稚園児の時、私の家から一分くらいの所に映画館(時々ストリップショーもやる)がありました。
当時やっていた映画に「鞍馬天狗(嵐勘十郎)」、「丹下左膳(大河内傳次郎)」、「七つの顔を持つ男(片岡千恵蔵)」が交互に上映されていて、私達兄弟(男三人女一人の4人兄弟でチトラは三番目にあたります)は、よく見に行っていました。
この俳優さん達は、独特の声と話し方で誰もが物まねしやすく、大人もよく物まねをして楽しんでいました。
特に子供の私達は、この俳優さん達の物まねでチャンバラごっこをやっていました。
当時は、巻尺がなく百センチの物差しでチャンバラごっこをやったり、探偵ごっこをしていましたが、主役は長男と二男がとってしまい、私や弟や兄貴達の友達はいつも斬られ役か悪人しかやらせてもらえませんでした。
雨の日などは、表へ行かれないので家の二階で、私も弟も兄貴達の友達もチャンバラをやるんですが、斬られ方が悪いとか死に方が駄目だとか、もっと真剣に振舞えと怒られ、出来ないとゲンコツやビンタをされ泣かされる事もたびたびの時、片岡千恵蔵の「遠山の金さん」が上映され、私は兄貴達が学校から帰ってくる前に、すぐ見に行き「遠山の金さん」のカッコよさにしびれ、今なら兄貴達はこの映画を見ていないので、金さんを知らないので、知られる前に主役が出来るな~と考えながら家に帰ると、誰もいなかった。
『また、親父が暴れてみんな逃げたんだな~』と思いながら(親父は酒乱で、暴れると危ないのでお袋も従業員もみんな店をおっぽりだして逃げてしまいます。親父が酔い潰れて寝てしまうか、よそへ喧嘩しに出て行かない限り、家には入る事も帰ることもできません。その為、私達兄弟は、お袋の知り合いの所へ、みんな着の身着のままで兄弟ばらばらで預けられることもたびたびでした。)、店の奥の座敷(居間兼親父とお袋の寝室)に行き、お袋の鏡台の前に私は座り、鏡にうつる自分を見ながら、どうやってみんなが驚くような金さんになって暴れてやろうと思いながら、ふと鏡台を見るとお袋の口紅があった。
私は口紅を見た瞬間、桜の刺青をしようとひらめいた。
もう、何にも考えず(今まで色んな子供たちがチャンバラごっこをやっていても、当時、刺青を書く子供は一人もいませんでした。)口紅で、自分の片肌に桜を書き、煙突のすすでまわりを書いて、書き終わって桜の刺青が見える片肌の姿を鏡で見た時、あまりのカッコよさにうっとりとして良い気持ちになり、兄貴達に見つからない内に、みんなに見せるため、遊びに行き、年下の子供達を集めて、思う存分金さん遊びをして、お腹がすいたので、家に帰ると、まだ誰も家には居ず、私は待つ間、いつのまにか疲れて寝てしまいました。
どのくらい寝たか分かりませんが、いきなりお袋の凄まじい怒鳴り声とともに額(ひたい)と頭と顔にすごい衝撃を受け、目を覚まし、あまりの痛さで目からは星が飛び、くらくらして、私はびっくりして火が付いたように大声で泣き叫びながら、私の前に立っているお袋を見ると、お袋は怒って凄い形相で目がつりあがり、兄弟達を大声で呼び、私の姿を兄弟達に見せた。
この時の私の姿は、額に大きなマンガで見るようなこぶと、鼻からは鼻血を出し、口の中は切れて顔中血だらけでした。
そして兄弟達に、お袋は『いいか!今度たとえ遊びでも身体に(チトラを指さしながら)こういう事をすると、こんなもんじゃあ済まないからな!二度とふたたび家には入れないからな!わかったか(怒鳴りつける)!分かったらさっさとこの馬鹿の身体をお前達で綺麗にふけ!』と言って、お袋は部屋から出て行ってしまった。
お袋がいなくなった途端、兄弟達は、お前のおかげで俺達まで怒られたと言って怒りながら、兄弟三人で身体を拭いてくれたが、その時から、兄弟達もお袋も何日も口を聞いてくれませんでした(ほとぼりが冷める迄はおとなしくしていましたが、ほとぼりが冷めると、またいつものように近所から怒鳴りこまれるガキ大将でした)。
そのこぶの跡は、今でもあります。
このブログを書きながら、娘と姪が今でも残っているそのこぶの跡を見て触って本当にまだ残っているとゲラゲラ笑っています。
前にもチトラの生い立ちで書きましたが、この凄まじい家庭環境と問題児のチトラは、こういう中で小学校に上がって、あいうえおが読み書き出来ると同時に母から、人間にとって大事な事が書いてある本を兄弟は読まされ、私はその他にバレエ、日本舞踊、和裁、華道(花の世界の名前をとった)、茶道を習わされ、また、中学時代には、母から「松下幸之助(お袋にお金をもらって本屋へ買いに行った)」を読まされ、兄貴達の影響で歴史、文化を読むようになり、地元の中高一貫の女学校入りましたが、喧嘩ばっかりして、素行が悪かったので、高校に上がる事を断られ、慌てた母は代々木の山野美容学校に私を入れました。(お袋は、家族の前で私の事を、『こんな馬鹿じゃたとえ貰い手があって結婚したとしても、すぐ離婚され、誰にも相手にされなくなるだろう。手に職をつけておけば、何とか一人になっても食っていけるだろう』と家族を前にして怒って言っていた。この山野美容学校は、何ヶ月か行きましたが、ずる休みと素行の悪さで、寮でずる休みをしてどんちゃん騒ぎをしている現場を先生方に押さえられ、退学のため、その場でお袋が呼び出されましたが、私は先生の隙を見て逃げ出し、持ち金60円を持ってそのままとんずらしました。※これらはチトラの生い立ちの方に詳しく書いてあります。)
本を読む事、習い事は当時、こんなものがなんの役にたつ。と思っていましたが、後に大きな社会、大きな世間に出た時、こういう事がどこかに身に付いていて助けられたり、教えられたりしながら、人からの信頼を生んだりして、大きな世間・社会の人達と交流して行ける事を知って行きました。
※何故お袋がここまでの大激怒をしたかというと、当時、刺青は人からも恐れられ嫌われ、ろくでもない(掃き溜め)人間のする事で、大きくなってからまともな所にも勤められず、社会にも信用されず、困るのは自分自身だという事で、ここまで怒ったのです。




























