第六十四番 前神寺 第六十五番 三角寺
第六十六番 雲辺寺
第六十九番 観音寺
前日、日程を終えた方々が帰り、後に残った人たちはご夫婦が二組と男三人の相部屋の人たちと私を混ぜた女三人で、計十人となっていました。
最後の高野山までは、一人若い方が四国八十八番結願で帰ることになっていました。
この頃には、残った皆さんは完全に打ち解けて冗談を飛ばし合い、和気あいあいでした。
夫が仏教徒で奥さんがキリスト教のご夫婦や他のご夫婦ともよく良く冗談を飛ばし合い、また苦しい参拝までの道中でもこのご夫婦の旦那さんの事を私は、「アニキ、アニキ」と呼んではふざけ合い忍者ごっこをしながら、「アニキ」も完全に子供に還り私を待ち伏せして不意打ちをくらわせたりして、周りの人たちも私とアニキのやり取りをみんな子供のように楽しんで見ていました。
※十四日間の全ての苦しい参拝道中はいつも苦しさが笑いごとに変わっていました。
そして、四国六十六番に来た時、なぜだか突然、色んな事が走馬灯のように頭の中に流れ、かつて私がある大企業に拾われ食堂の経営を任されていた時の事が強く思いおこされ、比叡山延暦寺の最澄様の教え「一隅(ひとすみ)を照らす」を身に付けていた大勢の誠実な方々にどのくらい助けられ守られてきたかということを強く思いだしました。
私はかつて、三十年ほど前の一年間に元夫Kの執拗な追い回しや常に十個くらいの問題を元夫Kに押しつけられていました。
この問題の多くは元夫KがS社の方と喧嘩をしたり、あることないことベラベラ喋りそれが問題になり、何度も会社を辞めさせられそうになることの繰り返しでした。
そして、自社の社員と私が喧嘩するように仕向けたり、会社の売上や金銭の出し入れ全てを元夫Kが取り仕切り、私に携わらせないように常に問題を色々とこじつけては私に降りかかるようにしていました。
これらを私一人で処理させられていました。
会社を閉める事になる最後の数年間は安定剤、睡眠薬を飲まなければ仕事が出来ないほどでした。
京都に精神的にずたずたになって疲れ切った神経を休めるために京都に五回行った事があります。
私は日曜日しか休めないので、日帰りで朝一番の新幹線に乗って帰りは五時ごろの新幹線に乗って帰っていました。
琴の音を聞きながら神社仏閣を帰る時間ぎりぎりまでお参りしてまわり、ピリピリになった神経を癒していました。
そしてこの五回目の京都日帰りの際、私はもう当分来る事が出来ない事を元夫Kの日増しに執拗になっていく精神的嫌がらせの中で悟っていきました。
今回が最後の京都日帰り旅行になるだろうなと覚悟したので、家を空けることに猛反対だった元夫Kに色々とされながらも強引に夫を押し切り京都に行きました。
この時、比叡山延暦寺に行き最澄様にお礼と感謝の参拝をせずにはいられなかったからです。
この五回京都に行ったという事で、私の精神もだいぶ図太くなったような気もしましたが、またずたずたにされることの繰り返しでもありました。
※これら元夫Kの事やS社の事は別テーマ「私の生い立ち」の方にチトラの回想録として詳しく書いてあります。
そして、経営している間に大きな世間、社会にも絶大なる信頼を持っているS社と最澄様の教え「一隅(ひとすみ)を照らす」に私自身助けられ守られている内に、別の社会からも世間からも信頼されている業種の会社を設立してある大手企業に入る事ができました。
これ全てがS社の信用と比叡山延暦寺の最澄様の教えの一つ「一隅(ひとすみ)を照らす」のお陰です。
なんで立って写真なんか撮れましょう。
私は思わずその場に膝をつき正座をし、両の手をついて石碑に座礼しました。
それを見てちょっと驚いている仏教徒の夫とキリスト教の奥さんに、私の気持ちを説明しました。
「これから撮ってもらうこの写真は感謝の気持ちでいっぱいの自分の気持ちを表したものです。とても立って撮って頂く写真ではありません。子供たちが私が死んだあとに姉弟でこの写真を見たとき、いかにS社と最澄様の恩恵を受けて大事にされてきた事か知って欲しいんです。そして、いつまでもS社に対しても最澄様に対しても感謝の心を持って、子供たちにこの先の人生を少しでも幸せに過ごしてもらいたいと思い、このような姿で撮って頂きたいと思います。」と言いました。
娘には、私が死んだあと姉弟でこの写真を見た時、手を合わせてS社と最澄様に感謝しなさいと言っています。
ホテル:オークラホテル丸亀
※サービスも設備もご飯もお風呂も本当に良かったです。
何度も書きますが、このツアーで泊った宿泊全てどこもかしこも良かったです。
コインランドリー:2台設置







