はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~ -7ページ目

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

9月21日(土)MINT LAB TOKYO店で行われた石毛宏典氏&辻発彦氏サイン会へ行ってきました。

西武ライオンズ黄金期の中心選手でもあったお二人に会ってサインを書いてもらい、更に3ショット写真撮影もできるということで、某有名CMキャッチコピー「お値段以上~♪」なイベントでした。

 

会場には30年以上も前、最強だった西武黄金期を夢中で応援していたであろう、現在は年齢を重ねた大人たち(笑)が当時の帽子やユニフォームを着用し、思い出の品々を手にして集結。

私もライオンズ黄金期のホームユニフォームを着用して参加。

私も含め皆さん心は「野球小僧」に戻っていました。

 

イベントが始まり、お二人が登場するとまさに黄金時代の復活!



お二人ともスマートでお若い!!


サインは1993年、1994年のBBMカードへそれぞれ書いていただきました。

 

 

 


その後に3ショット写真撮影もしてもらいましたが、写真は秘密です。

この日、お二人とお話しをする機会があったのですが、今回持って行った品々の中に2007年サマーシリーズに配布した球団発行ポストカードに、石毛氏と辻氏が笑顔でハイタッチをしているシーンがあり、これはいつの写真かな?という話題に。

 

私「1986年広島カープとの日本シリーズ第8戦ですね。」
石毛氏「広島市民球場だね。」
私「内野ゴロ併殺打でチェンジになったシーンではないでしょうか?」
辻氏「いや俺がボール持ってるから、一塁送球の内野併殺打では無いよ。セカンドフォースアウトとかじゃないかな?」
私「確かに。そうかもしれませんね。」

結局、その場ではそのシーンの状況が思い出せないまま終わりました。
しかし、どうしても気になった私は家に帰ってから所有している資料を引っ張り出し調べてみました。
そして以下の通り解明しました。

1986年日本シリーズ第8戦。
3-2で西武が1点リードで迎えた8回裏、一死一塁、二塁のピンチを迎えた場面。
次打者の広島・山崎の当たりはセンター前を襲ったライナー性の打球でしたが、センター岡村が前進して見事ランニングキャッチ。

 

岡村からの送球が二塁手・辻にわたってダブルプレー成立。
石毛と辻は大喜びをしてベンチへ戻るシーンが正解でした。

西武がそのまま3-2で逃げ切り、初戦を引分けた後の3連敗からの4連勝で逆転日本一に輝きました。

 

「石毛さん!辻さん!これが正解でした!!」とお伝えしたい…。

 

いや~幸せな時間でした。

またお会いできる日を楽しみにしています。

★2019年5月13日(月)に掲載したブログのアップデート版です★

 

(1981年西武ファンブックより)
キャンプでの厳しい顔は、今年に賭ける現れと見た。
ベテランの味と意地を見せてもらいたい。

 

【1981年の山下律夫】
西武在籍:3年目(37歳)、背番号17
一軍成績:19試合、2勝 1敗 0セーブ、投球イニング32回2/3、自責点13、防御率3.55、奪三振14

 

(イースタンリーグ成績)
投手成績:2試合、0勝 0敗 0セーブ、投球イニング2回1/3、自責点2、防御率9.00、奪三振2
打撃成績:2試合、0打数0安打、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁

 

【山下律夫:1981年の主な出来事】
4月8日:3番手で今季初登板、9回味方が勝ち越し勝利、山下が今季初白星(○西武7-6日本ハム)
4月11日:3番手で登板、7回味方が逆転し山下に2勝目転がり込む(○西武6-3近鉄)
6月6日:1点リードの8回から登板、1回2/3イニングを無失点で切り抜ける(○西武5-4南海)
7月4日:2回から緊急登板も3失点、今季初黒星(●西武2-7近鉄)

 

1981年は、19試合すべてリリーフで登板し、2勝をあげた。

 

【当時の記事写真とコメント】

玄人受けする山下投手も今年にかけるひとり

 

翌1982年のキャンプイン前、片平晋作内野手・黒田正宏捕手との交換トレードで山村善則内野手と共に南海に移籍することになった為、1981年が西武在籍の最終年となった。

1982年限りで現役を引退。
その後はテレビ埼玉で、野球解説者を務めた。
2011年4月没(享年66歳)

 

山下律夫

西武在籍期間:1979 - 1981年(3年)
西武通算成績:72試合 7勝 8敗 1セーブ 防御率4.62

★2019年5月11日(土)に掲載したブログのアップデート版です★

 

(1981年西武ファンブックより)
野球の醍醐味であるホームランバッターとして、球界を背負う立場になったといっていいだろう。
もともとボールを遠くへ飛ばす能力はナンバーワン。
昨シーズンははもう一歩のところで、ホームランキングのタイトルを逃したが、今シーズンに賭ける意気込みはすさまじい。
前人未到のセ・パ両リーグを通じてのホームラン王に執念を燃やし練習に取り組んでいる。いつもは開幕に照準を合わせて調整するのだが、今年のキャンプでは初めから打ちこみを開始する熱の入れよう。
しかも、ポンポンとオーバーフェンスの連続。
その長打力にはナインもア然とさせられた。
だが、今シーズンの目標を聞くと「優勝するために打つ」という答えが返ってきた。
昨シーズン後期、優勝を争っていたゲームで故障し、ゲームに出場できなかったことがよほど悔しいらしい。
ぜひとも目標を達成させてもらいたい。

 

【1981年の田淵幸一】
西武在籍:3年目(35歳)、背番号22
打撃成績:86試合、283打数70安打、打率.247、15本塁打、49打点、0盗塁

 

重なる怪我の影響により86試合の出場にとどまる。

阪神時代から9年間続いていた年間100試合以上出場もストップし、各打撃成績も前年から降下し不本意なシーズンとなる。

9月6日対ロッテ後期10回戦(西武球場)で、9回裏に村田兆治から左越2ランを放ち通算400本塁打を達成。

 

【1981年当時の記事写真】

 

 

 

 

 

★2019年5月10日(金)に掲載したブログのアップデート版です★

 

(1981年西武ファンブックより)
攻走守3拍子そろった新人。
とくにバッティングは世界アマチュア選手権で1番を打っただけあって、粘り強い。
いままでライオンズにはいなかったタイプの選手といえよう。
実戦的なバッティングが見もの。

 

【1981年の岡村隆則】
西武在籍:1年目(27歳)、※新人=河合楽器からドラフト2位入団、背番号28
一軍成績:55試合、86打数15安打、打率.174、2本塁打、6打点、4盗塁

 

(イースタンリーグ成績)
打撃成績:9試合、25打数9安打、打率.360、0本塁打、3打点、2盗塁

 

【アマチュア時代】
柳井高3年時に左翼手として夏の甲子園に出場しチームは準優勝。


中央大学在籍時にチームは東都大学野球リーグで優勝2回。
全日本大学野球選手権、明治神宮野球大会でも優勝し大学日本一に輝いている。
岡村自身は東都リーグ外野手部門のベストナインに2回選出。
1976年日米大学野球選手権の日本代表にも選出された。


社会人野球の河合楽器に入社後、1979年都市対抗野球では日本楽器の補強選手として出場。
1980年第26回アマチュア野球世界選手権の日本代表に選出。

1番打者として活躍、3本塁打を記録するなど活躍しチームの銅メダル獲得に貢献。

岡村は日本選手としてただ1人ベストナインにも選ばれている。

 

1980年都市対抗野球では所属する河合楽器で出場を果たした。
河合楽器時代には、ピアノ調律師の資格を取得している。

 

1980年ドラフト会議で西武から2位指名を受け入団。
 

【プロ初出場、プロ初先発出場、プロ初安打】
4月4日対ロッテ前期1回戦(川崎球場)
新人ながら開幕戦に9番・センターとして抜擢され、プロ入り初出場、初先発出場を果たす。
7回表の打席で村田兆治からプロ入り初安打を記録。
デビュー戦は3打数1安打。

【プロ初打点】
4月6日対ロッテ前期3回戦(川崎球場)
2回表に奥江英幸からタイムリー安打を放ちプロ入り初打点を記録。

【プロ初本塁打】
9月29日対近鉄後期13回戦(日生球場)
4回表に谷崎浩二から3ランを放ちプロ入り初本塁打を記録。


【当時の記事写真とコメント】

岡村の粘っこい広角打法は相手投手からイヤがられる存在になろう
キャンプでの岡村は、インコースは引っ張り、アウトコースはレフトへ流す、といった広角打法を披露。
とくに紅白戦ドラックバントを見せるなど、なんとかして塁へ出ようという粘っこいバッティングは、いままでのライオンズ選手にはないものを持っている。

 

俊足、強肩、広い守備範囲は投手を助ける

俊足で守備範囲も広く、113メートルを投げる遠投力といい3拍子そろっている。
野球評論家の中には、岡村を新人王候補の1番手にあげる人もいるほどである。