西武ライオンズタイムマシーン(第414回):1981年 五月女豊 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

年末のブログに書いた通り私は新型コロナの陽性反応が出てしまい、正月は全く外出せず家で寝て療養していました。

コロナ後遺症らしき違和感はまだ残っていますが、だいぶ回復してきましたので今年初のブログ更新です。

2023年も懐かしの西武ライオンズを一日でも多くお届けできればと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

 

予定していた新年の特別企画も頓挫したので、何事も無かったようにいつも通りのブログ更新のスタートになります!

 

(1981年西武ファンブックより)

大きく胸を張って、上から投げる重い速球が武器。
今シーズンは勝負の年と大いに張り切っている。
「いけ」といわれれば、先発でもリリーフでも、いつでも登板できる順応性が強み。

 

【1981年の五月女豊】
西武在籍:3年目(32歳)、背番号14
一軍成績:公式戦出場無し

 

【イースタンリーグ成績】
投手成績:23試合、5勝 4敗 2セーブ、投球イニング86回2/3、自責点18、防御率1.86、奪三振41
打撃成績:24試合、24打数6安打、打率.250、0本塁打、1打点、1盗塁

 

前年1980年にイースタン・リーグで防御率1位を獲得。
1981年は、活躍が期待されたが一軍での登板すら叶わず、大洋へ移籍した。
大洋では、1982年に58試合に登板し、6勝をあげる活躍。
1984年に現役引退した。

 

【1981年当時の記事写真とコメント】

中継ぎにベテランの味が期待できる五月女投手。

 

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