(1979年西武ファンブックより)
リリーフに、抑えに出番が多くなりそう。
首脳陣の信頼も厚く、期待度も大きい。
ピシャリと抑えられる切り札的存在になれるか。
【1979年の五月女豊】
西武在籍:1年目(30歳)、※クラウンライターから残留、背番号14
成績:26試合 3勝 1敗 0セーブ、投球イニング66回、自責点31、防御率4.23
(イースタンリーグ成績)
投手成績:3試合 1勝 0敗 0セーブ、投球イニング11回2/3、自責点2、防御率1.54
打撃成績:3試合 3打数1安打、打率.333、0本塁打、0打点、0盗塁
1972年ドラフト会議で阪神から1位指名され入団。
1975年オフに片岡新之介との交換トレードで太平洋クラブへ移籍。
球団が西武に変わった1979年は、開幕から一軍入りを果たした。
開幕から2試合目の4月9日対近鉄戦でシーズン初登板。
5月18日対近鉄戦で初先発を任され、7回途中まで無失点に抑えシーズン初勝利をあげた。
5月26日対南海戦では、1点リードで迎えた9回裏に救援登板。しかし、一死も取れないまま逆転サヨナラ負けを喫し敗戦投手になった。
9月18日対日本ハム戦で、4回途中からマウンドに上がり好投。9回までロングリリーフしその間チームが逆転に成功し2勝目をあげた。
10月10日対日本ハムダブルヘッダー第2試合の先発を任され6回途中まで好投し3勝目をあげた。
また、イースタンリーグの試合では、8月29日対日本ハム戦で、9回1死までノーヒットノーランに抑えていたが、目前で快挙を逃している。
【1979年当時の記事写真とコメント】
中継ぎ、抑え いつでもオーケー
胸を張って投げおろすボールは威力がある。
ロング・リリーフでもいけるし、抑えもまかせられる投手の1人。
「全試合ベンチ入りして、監督から『行け』といわれれば、いつでもマウンドに立てる投手になるつもり・・・」。
勝ち星のことは考えずに投げまくるという。