西武ライオンズタイムマシーン(第397回):1980年 野村克也 Part.1 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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(1980年西武ファンブックより)

重労働といわれる捕手を、26年もの間スタープレーヤーとして活躍してきた。
肩が少し衰えたとはいえ、ベテラン健在ぶりを示している。
昨シーズン、松沼兄弟や森の若手投手を、好リードで引っぱり、一線級のピッチャーに育てた功績ははかり知れない。
今シーズンも、長い経験を生かして投手陣を好リードしてくれることだろう。
バッティングも、長打力こそなくなってきたが、ここぞ、という時の登場は頼もしい。
必ずといっていいほどファンの期待に応えてくれる。
まだ若いも者にポジションは渡さないぞ、と全試合出場を目指している。
3000試合出場という大記録達成まで35試合に迫った。
3000試合で終わることなく、次は4000試合を目標にするくらいの気迫でがんばってもらいたい。

 

【1980年の野村克也】
西武在籍:2年目(45歳)、背番号19
打撃成績:52試合、69打数15安打、打率.217、4本塁打、14打点、0盗塁

 

プロ27年目45歳、西武2年目の1980年は、日本ハムとの開幕シリーズ2試合目に8番・捕手として先発マスクをかぶった。
その後は若手の大石、吉本を捕手として積極的に起用するチーム方針もあり、ベテランの野村は控えに回り代打や途中出場がほとんどだった。
それでも4月26日対近鉄戦で、9回表に村田辰美からシーズン第1号となる代打逆転3ラン本塁打を放ち25年連続シーズン本塁打を記録した。

出場試合数こそ少なかったが、前半戦は33打数10安打、打率.303、3本塁打、10打点の成績を残し、全パ・西本幸雄監督(近鉄)の推薦によりオールスターゲームに出場。
オールスターゲームの記録としては、1950年代、60年代、70年代、80年代の4つの年代での出場は野村が唯一の存在である。
さらに1980年が選手として21回目のオールスターゲーム出場だったが、歴代の最多出場回数記録でもある。
ちなみにこの1980年の出場は、野村自身初めての監督推薦での選出であった。

 

BBM2013年オールスター伝説80's No.50

 

それまでは1957年~1977年にかけて21年連続ファン投票による選出であった。(※1969年は出場辞退)
ファン投票選出回数、連続選出回数ともに王貞治と並ぶ歴代最多タイ記録となっている。


BBM2013年オールスター伝説80's No.85


この年のオールスター戦は、第1戦、第3戦とも1打席ずつ立ったがいずれも凡退した。

 

次回「1980年 野村克也 Part.2」へつづきます。

 

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