(1980年西武ファンブックより)
かつての広島・外木場に似た風ぼうをしている。
投球フォームも同じようにダイナミックだ。
ブルペンで投げているのを見た野球評論家が「あの球がマウンドで投げられれば文句のつけようがないのだが…。」といっていた。
【1980年の木村広】
西武在籍:2年目(27歳)、背番号52
投手成績:6試合 0勝 0敗 0セーブ、投球イニング11回2/3、自責点、防御率3.75
(イースタンリーグ成績)
投手成績:39試合 3勝 4敗 9セーブ、投球イニング90回1/3、自責点25、防御率2.49
打撃成績:39試合 12打数0安打、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁
プロ入り5年目の1980年は、開幕は二軍スタート。
その後もしばらく二軍生活が続いたが、イースタンリーグの試合で結果を出し9月に入って悲願の一軍昇格を果たした。
9月5日対日本ハム後期7回戦(西武球場)で6回表2死から西武3番手投手としてプロ入り初登板。
1回1/3イニングを無安打、無失点に抑えた。
続く登板となった9月20日対日本ハム戦でも3イニングを5奪三振、無失点に抑える力投を見せた。
一軍初登板から3試合連続無失点に抑えるなど結果を出し始めていたが、その後は逆に3試合連続で失点を重ねシーズンを終えた。
イースタンリーグでは、リーグ最多の39試合に登板。
リーグ最多となる9セーブを記録した。
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