西武ライオンズタイムマシーン(第280回):1979年 木村広 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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(1979年西武ファンブックより)

度胸満点のピッチング、ずっしりした重い球は一軍でも十分通用する。
問題はコントロール。
今年は真価が問われる年。

 

【1979年の木村広】
西武在籍:1年目(26歳)、※クラウンライターから残留、背番号52
成績:一軍試合出場なし

 

口加高校時代は、投手として軟式野球の全国大会で優勝。
日本大学へ進学し後に硬式野球に転向も、チームは途中二部リーグへの降格もあり、投手としては一部リーグ通算3勝と目立った実績は無かった。
異色の経歴の持ち主であったが、1975年ドラフト会議で太平洋クラブラから5位指名を受け入団した。
入団以降の3年間は、一軍での出場経験は無かった。

球団が西武に変わった1979年は、木村自身4年目のシーズンだったが、この年も一軍昇格のチャンスは掴めなかった。

 

(イースタンリーグ成績)

投手成績:4試合 0勝 1敗 0セーブ、防御率4.50

打撃成績:4試合 1安打、0本塁打、0打点、0盗塁、打率.250

 

イースタンリーグでも4試合の登板のみで終わっているが、投球回数12イニングで11奪三振を記録していた。