西武ライオンズタイムマシーン(第279回):1979年 長谷川一夫 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1979年西武ファンブックより)
左の代打の切り札。
ベテランの味を生かした勝負強さは、ここ一発の時に期待がかけられる。
地味な選手だが貴重な戦力。

 

【1979年の長谷川一夫】
西武在籍:1年目(34歳)、※クラウンライターから残留、背番号9
打撃成績:80試合、50安打、4本塁打、15打点、1盗塁、打率.362

 

1963年大毎オリオンズへ入団。
プロ11年目の1973年には、オールスターゲームに初出場した。
1975年リーグ最多の6三塁打を記録した。
1977年クラウンライターに移籍。
1978年7月11日対日本ハム戦で、9回二死一・三塁の場面で投手としてマウンドへ上がったが、最初の打者にサヨナラ安打を許した。

球団が西武に変わった1979年は、球団の移転にともない自身の故郷である埼玉県に戻ってきた。
4月14日に初出場すると打撃の好調さが目立ち出場機会も増えた。
特に4月28日対日本ハム戦で3安打を放った日を境に5月16日までは打撃が絶好調。
この間、1試合2安打以上放ったマルチ安打の試合が8試合もあり、42打数19安打、打率.452の固め打ちをした。
その後も先発で起用されることはあったが、シーズン途中でジム・タイロンが入団すると代打での起用が増えた。
それでもコンスタントに安打を放ち、8月30日対ロッテ戦、9月1日対阪急戦でいずれも途中出場ながら2試合連続で本塁打を放った。
規定打席不足ながら、最終的にシーズン打率は.362の好成績を残した。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

チャンスに強い代打の切り札
18年目を迎えたベテランは黙々と調整した。
今シーズンも左の貴重な代打として、ここ一番の場面で登場することが多くなるだろう。
だが本人は、まだ若い者には負けないと、定位置獲得をあきらめていない。
外野陣をふるい立たせる刺激剤の役割を果たしている。