(1979年西武ファンブックより)
若さをぶつける思い切ったピッチングが見もの。
ファームで力とコントロールをつけ、実績をあげることが一軍への道。
【1979年の植上健治】
西武在籍:1年目(24歳)、※クラウンライターから残留、背番号55
成績:一軍試合出場なし
1973年ドラフト会議で阪神から2位指名され入団。
1977年オフに金銭トレードでクラウンライターへ移籍。
そして球団が西武に変わった1979年は、二軍の試合でも登板すらなく、この年限りで現役を引退。
結局、プロ入り後から引退までに一軍の試合での登板を果たすことができなかった。
引退直後の1980年に打撃投手としてそのまま西武に残留。
1985年にスコアラーへ転身。
その後、1994年に再び打撃投手に就いた。
だが、1995年のハワイ・マウイ島での春季キャンプのミーティング中に倒れ、39歳という若さで急逝。
現役引退後から亡くなるまでの約15年間、裏方として西武黄金期を支え続けた一人である。