(1979年西武ファンブックより)
ドラフト4位入団。
駒大では森とバッテリーを組んだ実績がある。
ガッシリした身体、強烈なパワー、そして強肩は将来を約束されている。
【1979年の山川猛】
西武在籍:1年目(24歳)、※新人=西川物産からドラフト3位で入団、背番号37
成績:一軍試合出場なし
1978年ドラフト会議で西武から3位を受け入団。
この時の西武ドラフト1位指名の森繁和とは駒大時代の同期でバッテリーを組んだ事もあった。
駒大時代の同期には大宮龍男(のちに日本ハム-中日-西武)がおり、正捕手の座は譲ったが、在学中は東都大学野球リーグで5度の優勝をともに経験した。
駒大卒業後は、西川物産に就職し社会人野球を経てプロ入りした。
入団一年目の1979年は、新人捕手という事もあり一軍での出場機会を得ることができなかった。
(イースタンリーグ成績)
打撃成績:61試合 29安打、5本塁打、21打点、0盗塁、打率.257
イースタンリーグの試合では、61試合に出場。
打撃では、6月26日対大洋戦の6回1死に代打本塁打を放った。
一方、守備では捕手として29試合でマスクを被ったが、捕逸を5個を記録するなど課題も浮き彫りになった。
一塁手としても18試合に出場しているが、10月6日対大洋戦では1試合3失策を記録し、一塁手としての1試合での最多失策記録を更新した。
付け加えると、この試合でチームも9失策を記録しており、こちらも1試合でのチーム最多失策記録を更新している。
【1979年当時の記事写真とコメント】
臆することのないハリキリボーイ
大きな声で内外野を励ますプレーぶりは、とても1年生キャッチャーとは思えない。
今はまだ先輩から学ぶ点が多いが、スローイングの正確さでは決してひけをとらない。
バッティングは少々つまっても、力で持っていく腕っぷしの持ち主。
先輩に追いつき、追いこせがモットーだ。