西武ライオンズタイムマシーン(第262回):1979年 中島浩一 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
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(1979年西武ファンブックより)

特訓でスタミナがついた。
左投げの利点を生かし1日も早く一軍入りするのが望み。
ライオンズの秘密兵器になれるか。

 

【1979年の中島浩一】
西武在籍:1年目(22歳)、※クラウンライターから残留、背番号53
成績:一軍試合出場なし

 

1975年ドラフト外で近鉄に入団。
入団後は一軍での試合出場機会が無く1978年シーズン途中に野崎恒男との交換トレードで高木孝治と共にクラウンライターに移籍。
クラウンライター移籍後、そして球団が西武に代わった1979年も一軍での試合出場がないまま退団した。

 

(イースタンリーグ成績)

投手成績:9試合 1勝 3敗 0セーブ、防御率7.50

打撃成績:9試合 0安打、0本塁打、0打点、0盗塁、打率.000
 

投球回数12回1/3で11失点(自責点10)。

少ない投球回数ながら被16安打、被3本塁打と二軍でも通用していない事を裏付ける成績であった。

 

西武を退団した翌1980年はまた近鉄へ復帰したがそれも一年限りで終わり引退した。

結局、プロ生活では一度も一軍マウンドでの登板を果たせなかった。