(1979年西武ファンブックより)
特訓でスタミナがついた。
左投げの利点を生かし1日も早く一軍入りするのが望み。
ライオンズの秘密兵器になれるか。
【1979年の中島浩一】
西武在籍:1年目(22歳)、※クラウンライターから残留、背番号53
成績:一軍試合出場なし
1975年ドラフト外で近鉄に入団。
入団後は一軍での試合出場機会が無く1978年シーズン途中に野崎恒男との交換トレードで高木孝治と共にクラウンライターに移籍。
クラウンライター移籍後、そして球団が西武に代わった1979年も一軍での試合出場がないまま退団した。
(イースタンリーグ成績)
投手成績:9試合 1勝 3敗 0セーブ、防御率7.50
打撃成績:9試合 0安打、0本塁打、0打点、0盗塁、打率.000
投球回数12回1/3で11失点(自責点10)。
少ない投球回数ながら被16安打、被3本塁打と二軍でも通用していない事を裏付ける成績であった。
西武を退団した翌1980年はまた近鉄へ復帰したがそれも一年限りで終わり引退した。
結局、プロ生活では一度も一軍マウンドでの登板を果たせなかった。