今年もいよいよプロ野球キャンプインですね。
新型コロナ感染予防と隣り合わせでのキャンプ調整になります。
12球団、全選手とも条件は同じですのでコロナを理由に調整不足や調整遅れの言い訳はできません。
こういう状況下ですので、むしろ真価が問われるのかと思います。
さて、プロ野球のキャンプインというタイミングですので、今回からしばらくは西武ライオンズ初年度の1979年西武ライオンズのキャンプを振り返りたいと思います。
新球団・西武ライオンズ初となる1979年(昭和54年)の春季キャンプは、1月に静岡県下田市で1次キャンプ、2月にアメリカ・フロリダで2次キャンプを行いました。
当時のそのキャンプでの出来事を可能な限り調べてみました。
1979年1月24日西武ライオンズの一行は、都内から電車でキャンプ地の下田へと向かいました。
途中の伊東駅で一時下車し、そのままホームで根本監督らが花束を贈呈されるなどの歓迎を受けました。
そして目的地の下田駅に到着すると現地の関係者らが出迎えてくれました。
当時記事には改札口から駅前広場にかけて市民ら約2,000人が出迎えたとされています。
その後、下田白浜神社でチーム一行は1次キャンプの安全祈願を行いました。
選手らは神様に向かって拝んでいるのですが、社殿の入り口付近は報道陣らが陣取って遮ってしまってますね。
下田白浜神社をネットで調べてみたのですが、白浜海岸に隣接した素敵な神社ですね。
神社巡りも好きな私にとってはいつかは訪れてみたい神社のひとつになりました。
さて、いよいよキャンプに突入!ということになったのですが。
残念ながら、私の手元にはその下田キャンプでの練習についての資料がほとんどありません。
それでも少ない当時の記事の中から色々と拾って下田キャンプについてまとめてみるとこんな感じでした。
『球団が誕生したばかりの西武ライオンズは、静岡県下田市で1次キャンプを行いました。参加は根本監督以下総勢63人。1月24日~2月6日までの約2週間。アメリカ・フロリダ2次キャンプに向けて選手は体を慣らした。2月6日に1次キャンプを打ち上げた根本監督は「すべて計画通り」とコメントした。』
さらに、この下田キャンプについて、少ない資料を隅々まで調べたところ、私にはひとつ気になった点がありました。
西武が正式に球団を所有したのが11月。
12月13日には、1次キャンプの地が下田に決定という資料を確認しています。
キャンプ地の候補としては「東京からそう遠くなく、かつ温暖の地で西武系列のホテルがある場所」というのが主な条件で、それをクリアしていたのが下田ということで急遽キャンプ地に決定したのだと推測できます。
しかし、キャンプ地を下田に決定したまでは良かったのですが、そこには一つだけ大きな問題点がありました。
次回へつづく。