西武ライオンズタイムマシーン(第261回):西武球団歌「地平を駆ける獅子を見た」誕生【B面編】 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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前回のブログでは、球団歌「地平を駆ける獅子を見た」について書きましたが、今日はそのつづきです。

 

【1979年当時の記事写真】

この球団歌のレコードを宣伝した1979年当時の記事です。

 

この記事中にレコードA面「地平を駆ける獅子を見た」の紹介とともに、レコードB面に収録されていた曲についても少しだけ触れられています。

そうレコードB面にも、もう一曲「LET'S GO LIONS(レッツ・ゴー・ライオンズ)」という曲が収録されていたのです。

この「LET'S GO LIONS」は、曲オンリーのインストゥルメンタル曲で、歌詞はありません。

おそらくこの曲のサビ部分にあたるのかと思いますが「L・I・O・N・S!レッツゴー!レッツゴー!ライオンズ」というコーラスは入ります。

1980年代に一時期「TVSライオンズアワー」のエンディングテーマソングとして使われたこともあったようですが、私の住んでいた地域は、テレビ埼玉は映りませんでしたので実際のところはわかりません。

私が直にこの曲を聴く機会は西武球場で試合観戦した時くらいでした。

イニングの合間(5回終了時?)にこの曲に合わせてチアリ―ディングが旗を振ったり、ダンスを踊っていた記憶があります。

LET'S GO LIONS」という曲は、コアなライオンズファンでないと知らないかと思いますが、今の時代、ネットで検索すれば動画等で聴くことができますのでこの機に是非聴いてみてください。

 

そしてこの曲の作曲と編曲を担当したのは、長戸大幸。

長戸大幸氏は、西武ライオンズ誕生とほぼ同時期の1978年11月に音楽会社ビーイングを設立。

その後ビーイングからは、初期のBOØWY、TUBE、B'z、ZARD、WANDS、大黒摩季、DEEN、T-BOLAN、倉木麻衣などを輩出。

特に1990年代は、ミリオンヒットの曲を連発し、音楽界を席捲し大成功を収めた方です。

A面「地平を駆ける獅子を見た」を作詞した阿久悠氏がビーイングの設立時に出資していたことから長戸氏とは縁があり、B面に入るライオンズの応援テーマ曲の制作は長戸氏が委託されたのではないかと推測できます。

 

ついでにビーイング×プロ野球のコラボで有名なネタを。

1993年に発売されたCD「果てしない夢を」という曲。

この「果てしない夢を」は、ビーイング所属のアーチストたちが共演し、そこへ当時巨人の長嶋茂雄監督がゲストボーカルで参加した事が話題になりました。

そしてこの曲のプロデューサーは、長戸大幸氏でした。

CDジャケットにはレコーディング中のミスターの姿も。

 

1993年の日本テレビ「劇空間プロ野球」のイメージソングとしてタイアップされ、巨人戦中継のエンディングで流れました。

私が初めてこの曲を聴いたのは、偶然ラジオから流れてきた時で、まだこの曲の存在を知らずに耳にしたものでありますから、曲の後半でいきなり野太い低音の男性ボーカルが入ってきたのでそれはかなりの衝撃でした。

その時はあの声の正体がわからないまま、あの声は誰?と当時はネットも普及していない時代ですからしばらく謎のまま悶々とした日々が続いた思い出があります。

 

私もビーイング系の曲と共に青春時代を過ごした世代です。

特にこの曲にも参加していた坂井泉水さん(ZARD)が大好きだったので、このCDも購入しました。

実は初回盤(黒ディスク版)と通常盤(白ディスク)の2種類が存在するんですよ。

私が購入したのは初回盤の方でした。

これも良き思い出です。

 

おわり