西武ライオンズタイムマシーン(第260回):西武球団歌「地平を駆ける獅子を見た」誕生【A面編】 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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前回のブログで紹介した「西武ライオンズ球団結成披露パーティー」では、球団歌「地平を駆ける獅子を見た」も発表されました。

作詞:阿久悠、作曲:小林亜星、歌は松崎しげる。

 

【1979年当時の記事写真】

 

阿久悠氏は、今更私が語るべき必要もないくらい音楽界で多くの業績を残した代表的な作詞家でした。
一方で、野球好きであり、西武以外にもダイエーや阪神にも作詞を手掛けた歌があります。
手がけたヒット作の一つピンクレディーの「サウスポー」がありますが、1977年のオールスターゲームで後に西武に在籍した永射保が王貞治に対してアンダースローから大きなカーブで空振り三振に仕留めた投球に感銘を受け、この歌詞を書いたといわれています。
高校野球関連でも、1980年代は毎年採用されていた元祖熱闘甲子園のテーマ曲とも言える「君よ八月に熱くなれ」、そして1993年にリニューアルされたセンバツ高校野球の公式大会歌「今ありて」も作詞をされていました。

 

小林亜星さんは、作曲家として「日本レコード大賞」大賞を受賞したこともありました。

私が子供の頃はCMやドラマ、クイズ番組などテレビでもよく見かけたものですから、当時は、まさか音楽界の巨匠であることは知りませんでした。

現在88歳でご健在です。

 

作詞:阿久悠、作曲:小林亜星のコンビと言えば、現在40歳~50歳代の方なら子供の頃に幼稚園や小学校で流行った「ピンポンパン体操」も共作品のひとつ。

私は、小学校1年生の時になぜか毎回水泳の授業の時にプールの水に浸かったままやらされた思い出があります。

 

球団歌を作曲した小林亜星と吹込み中の松崎しげる。

 

レコードは、松崎しげるの19枚目のシングル曲として、発表から2か月後の1979年3月25日に発売されました。

オリコンチャート最高順位は63位。

 

この曲は今も現役で試合前の球場広場などでもよく耳にすることができます。

また、ライオンズが優勝を決めた後の優勝セールでは、期間中セール会場の店内ではこの歌がヘビーローテーションしていていたようです。

2002年リーグ優勝当時、私の妹は池袋の西武百貨店内で勤務していて「さすがに覚えた」と言っていましたね。