西武ライオンズタイムマシーン(第255回):1979年 玉井信博 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1979年西武ファンブックより)
エース級の速球の持ち主。
これまで好投しても報われないケースが多かったが、心機一転今季はヤル気十分。
スタミナには自信がある。

 

【1979年の玉井信博】
西武在籍:1年目(30歳)、※クラウンライターから残留、背番号36
成績:一軍試合出場なし

 

1967年ドラフト11位で大洋に指名されるがこれを拒否し大学へ進学。
1971年ドラフト7位で巨人に指名されるが、今度は入団を保留。

社会人野球の三協精機に入社し都市対抗野球でも先発をした。
その後一年遅れで巨人に入団し、1973年にイースタン・リーグの最多勝を獲得。
1975年オフ、加藤初、伊原春樹との交換トレードで関本四十四と共に太平洋クラブへ移籍。
移籍1年目の1976年こそ登板機会が増え規定投球回に達したものの成績は3勝13敗と大きく負け越した。
翌1977年も1勝8敗の成績で、1978年は未勝利に終わっていた。


そして球団が西武に変わった1979年は、さらに厳しい状況でついに一軍での登板機会がないままシーズンを終えた。

 

(イースタンリーグ成績)

投手成績:14試合 2勝 4敗 0セーブ、防御率3.71

打撃成績:14試合 0安打、0本塁打、0打点、0盗塁、打率.000

 

投手なので仕方ない部分もあるが、8打席で6三振を喫していた。