西武ライオンズタイムマシーン(第254回):1979年 鈴木葉留彦 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1979年西武ファンブックより)
名前を改め、意気込みを感じさせる。
3割を打てるバッティング技術を持っているだけに楽しみな1人。

 

【1979年の鈴木葉留彦】
西武在籍:1年目(28歳)、※クラウンライターから残留、背番号6
打撃成績:68試合、30安打、2本塁打、16打点、0盗塁、打率.278

 

(イースタンリーグ成績)
打撃成績:15試合 19安打、1本塁打、10打点、2盗塁、打率.404

 

1969年ドラフト会議で南海に6位指名されるが拒否し、早稲田大学へ進学。
1973年ドラフト会議で太平洋クラブから3位指名を受け入団した。
プロ3年目の1976年の後半には一塁手のポジションに定着し、規定打席未満ながら336打席で打率.311を残すも、その後のシーズンは代打での起用が中心だった。

球団が西武に変わった1979年は、名前を「鈴木治彦」から「鈴木葉留彦」へ改名。
序盤は主に代打で起用されることが多かったが、8月中旬以降、チーム事情も重なり、スターティングメンバーに名を連ねることが増えた。
8月14日に6番・一塁手で先発起用され早速第1号本塁打を放つと、翌8月15日も6番・一塁手で先発出場し2試合連続の第2号本塁打を放った。
その後も先発で起用され続けると徐々に打撃の調子も上がり、9月には先発出場した6試合すべてで安打を放った。
さらにシーズン終了間際には、5試合にかけて代打出場機会5打席連続安打を放つ勝負強さも見せた。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

目の色を変えて猛烈ダッシュ
プロの水にもすっかり慣れて、スタートから猛烈なダッシュで飛び出そうとしている。
鋭く振り切るバッティングは相変わらず心強い。
田淵の加入で一塁のポジションを大物と争うことになった。
のんびりした性格だが、今年は目の色を変えて野球と取り組んでいる。