西武ライオンズタイムマシーン(第16回):1979年 松沼雅之 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

★2018年10月28日(日)に掲載したブログのアップデート版です★

 

(1979年西武ファンブックより)
東洋大の1年からエースとして活躍。
重い速球は早くから認められていた。
昭和51年には母校には初優勝をもたらし、東都大学史上第2位の39勝の記録を持って西武入りした。
投球フォームは兄と違って真上から投げ下ろすタイプ。
森、兄・博久とともに黄金トリオの一角。
マウンド度胸の良さはプロへ入っても相変わらず。
とてもルーキーとは思えないほどだ。
紅白戦、大リーグ相手のオープン戦で実力の片りんを見せた。
重いボールは捕っていてもズシッとくると捕手陣の評価。
陽気な彼が入ったことで、チーム全体が明るくなったともいわれている。
兄との競争も見ものだ。

 

【1979年の松沼雅之】
西武在籍:1年目(23歳)、※新人=ドラフト外で東洋大から入団、背番号16
投手成績:39試合 4勝 5敗 3セーブ 防御率4.55

 

1978年オフに巨人との激しい争奪戦の末、兄の博久と共にドラフト外で西武に入団。
ドラフト1位指名の森繁和、1978年社会人野球ベストナインに選出された兄・博久とともに新生・西武ライオンズの即戦力ルーキーの一人として期待されていた。


入団1年目の1979年は、開幕から4試合目の4月11日対阪急前期2回戦(西宮球場)で、6回裏に2番手で登板し、プロ入り初登板を果たした。

4月27日対日本ハム前期4回戦(後楽園球場)で、8回裏1死から2番手で救援登板。1回2/3無失点に抑えプロ入り初セーブを記録。
5月19日対近鉄戦でプロ入り初先発を果たすもこの試合は初回から失点し2回途中(1回1/3)2失点で降板した。
6月9日対南海前期8回戦(西武球場)で、先発し5回1失点に抑えプロ入り初勝利をあげた。
8月26日対日本ハム戦は兄・博久が先発し9回途中まで投げ、弟・雅之がその後を救援し兄弟二人のリレーで7-5と逃げ切った。
博久が勝利投手となり、雅之にセーブが記録された。
9月12日対近鉄後期9回戦で、9回2失点(自責点0)の好投でプロ入り初完投勝利をあげた。


1年目は勝ち星こそ4勝止まりだったが、39試合に登板。

先発、救援と様々な場面で起用され経験を積んだ一年だった。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

 

 

将来を期待されてる本格派
バーノン・ロー コーチから、カーブの投げ方を徹底的に教えられた。
ずっしりと重い直球にカーブのコントロールが身につけば、第一線での活躍も期待できる。
大リーグ相手に投げた自信を、そのまま公式戦にもちこめば、かなりいけそう。
「とにかく、今シーズンは何も考えずに投げます」という無欲さが、勝ち星を続けられるかどうかの鍵。

 

【1979年当時の野球カード】

山勝1979年 No.37

 

山勝1979年 No.37(裏面)