西武ライオンズタイムマシーン(第251回):1979年 益川満育 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1979年西武ファンブックより)
近鉄から移籍入団。
心機一転今年にすべてを賭けている。
攻守ともバランスのとれた選手。
むきだしのファイトがほしいところ。

 

【1979年の益川満育】

西武在籍:1年目(29歳)、※近鉄から移籍、背番号46
打撃成績:5試合、0安打、0本塁打、0打点、0盗塁、打率.000

 

(イースタンリーグ成績)
打撃成績:51試合 52安打、5本塁打、25打点、3盗塁、打率.294

 

1971年ドラフト会議でヤクルトアトムズから4位指名で入団。
1975年には一軍に定着し79試合に出場した。
しかし、翌年1976年には出場機会が激減し、オフに近鉄へトレードで移籍。
近鉄では活躍できず1978年限りで自由契約選手となったが、その後西武が獲得した。

西武へ移籍1年目の1979年は、開幕2試合目の4月9日対近鉄前期2回戦に途中出場し、西武移籍後の初出場を果たした。
4月12日対阪急前期3回戦で9番・遊撃手として移籍後初の先発出場を果たすも、1失策を記録。
西武球場のこけら落としとなった4月14日対日本ハム戦にも9番・遊撃手として先発起用されたがこの試合でも2失策。
ヤクルト時代の1975年に1シーズン13失策を記録するなど守備に難があっただけに悪い面が出てしまった。
ここまで14守備機会で3失策を記録し、また打撃でも見せ場を作ることができなかった。
2失策を記録したこの4月14日の試合を最後に一軍での出場機会は無く、5試合のみの出場に終わった。

結局、このまま退団となり現役引退となった。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

渡り鳥を返上して定位置を
中日、近鉄と渡り歩いてきたが、ライオンズに骨をうずめようと覚悟を決めてプレーしている。
弱いといわれている内野陣が強固になるかどうかも益川のプレー次第。
力強いバッティングを生かして、常時出場するには、厚い壁を破らなければならないが…。