西武ライオンズタイムマシーン(第245回):1979年 大原徹也 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1979年西武ファンブックより)
守備の上達が目につく。
身体もひと回り大きくなった。
野球に取り組む姿勢はチーム・ナンバーワン。
あとは打撃の確実さだけ。

 

【1979年の大原徹也】
西武在籍:1年目(22歳)、※クラウンライターから残留、背番号27
成績:87試合、19安打、打率.161、0本塁打、4打点、2盗塁

 

(イースタンリーグ成績)
打撃成績:10試合 6安打、0本塁打、1打点、0盗塁、打率.231

 

1975年オフにドラフト外で太平洋クラブに入団。
入団後3年間は一軍へ上がることはできなかった。

西武に変わった1979年は、開幕戦の4月7日対近鉄前期1回戦(日生球場)で、7回裏に二塁手として出場しプロ入り初の一軍試合での出場を果たした。
4月9日対近鉄前期2回戦(日生球場)で、9番・遊撃手として初の先発出場の機会を得ると2回表に井本隆からプロ入り初安打を放った。
4月21日対ロッテ前期1回戦(川崎球場)で、7回表に安木祥二からプロ入り初打点を記録した。
プロ入り4年目でようやく一軍に定着をし、この年は87試合まで出場機会も増えた。

しかし、打撃では打率1割台、守備でも13失策と攻守ともに課題が浮き彫りになったシーズンでもあった。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

今シーズンは常時一軍ベンチで
プロ入り4年目でメキメキ力をつけた。
ライオンズ若手陣にあって成長度ナンバーワンの選手。
守備はもう安心して見ていられる。
問題はバッティングだが、バットをひと握り短く持ってシュアーに振ることを心がけている。
今年は一軍で活躍する場面がふえそう。