西武ライオンズタイムマシーン(第244回):1979年 古沢憲司 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1979年西武ファンブックより)

速球の威力、変化球のキレは、まだまだ若手には負けない。
安定した調子さえ取り戻せば、東尾を助ける一番手。
15勝はいける。
ピンチを迎えたとき、野村のリードによって、冷静に切り抜けられるかどうかが、今シーズンの課題。

 

【1979年の古沢憲司】

西武在籍:1年目(31歳)、※阪神から移籍、背番号23
成績:29試合 4勝14敗 5セーブ 防御率5.66

 

(イースタンリーグ成績)
投手成績:4試合 1勝 0敗 0セーブ、防御率3.18
打撃成績:4試合 2安打、1本塁打、1打点、0盗塁、打率.400

 

1964年高校を中退して阪神へテスト入団。

7月に初登板し戦後最年少となる16歳117日での公式戦出場記録を打ち立てた。
1978年オフに真弓明信・竹之内雅史・若菜嘉晴・竹田和史との交換トレードで田淵幸一と共に西武へ移籍。


西武移籍1年目の1979年は、開幕から先発ローテーション入りし開幕3試合目の4月10日阪急戦で移籍後初先発。
この試合で敗戦投手となると4月に先発した5試合すべて敗戦投手となり5連敗。

その後二軍へ降格し再調整となった。
6月に一軍へ再昇格すると6月24日ロッテ戦で9回2失点の完投で西武での初勝利をあげた。
7月6日近鉄戦でも9回1失点の好投で2試合連続の完投勝利をあげ波に乗るかと思われた。
しかし、その後は先発で8連敗を喫し古沢の先発での成績は2勝13敗となり、9月からリリーフへ配置転換された。
9月2日の阪急戦では、1回表に西武が一気に4点を先制するも、直後の1回裏に先発した山下が、1死も取れないままあっさり同点に追いつかれ降板し、古沢へ交代した。
救援した古沢は、その後阪急に得点を与えず2番手投手ながら9回を完投し、チームも勝ち越しに成功し珍しい準完投勝利投手となった。
9月7日阪急戦で抑えとして初セーブをあげると、シーズン終了までに5セーブをあげた。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

 

 

絶妙の制球力で挑む正念場
フロリダで最も気合に満ちたピッチングをしていた。
移籍1年目というこもあるが、昨年の二の舞は演じたくないという信念があるからだろう。
スピードも十分、変化球の切れもよく、まだまだ二ケタの勝ち星をねらえる。
「今年はポカをなくすこと…」と自らいうように、終盤でのポカがなくなれば、東尾に次ぐ2番手投手としての役割を十分にこなせる。