西武ライオンズタイムマシーン(第238回):1979年 吉岡悟 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1979年西武ファンブックより)
3年前に首位打者を獲得した時のバッティング再現が待ち望まれている。
体調さえ整えば3割も夢ではない。

 

【1979年の吉岡悟】

西武在籍:1年目(30歳)、クラウンライターから残留、背番号8
成績:15試合、2安打、打率.105、0本塁打、0打点、1盗塁

 

(イースタンリーグ成績)
打撃成績:2試合 1安打、0本塁打、0打点、1盗塁、打率.143

 

1967年秋のドラフトで東京オリオンズから10位指名でプロ入り。
1975年に交換トレードで太平洋クラブへ移籍。
1976年には、打率.309で首位打者を獲得しベストナインにも選出された。
二塁手のレギュラーを獲得し翌1977年、1978年と続けて100試合以上に出場するも、打率は一転急降下。
1977年は.228、1978年.237まで落ち込んでいた。


1979年は、球団が西武に変わり心機一転、復活をを目指していた。
開幕からチームは二塁のポジションを固定できず、伊原、金城、大原と日替わりで起用していたが、いずれも結果が出ず4月15日の対日本ハム戦で、ようやく吉岡に出番がまわってきた。
この試合で9番・二塁手として先発出場すると4試合連続で先発起用された。
しかし、この4試合で計9打数1安打と打撃で全く結果を残せず、その後は代走として出場機会はあったものの5月7日の試合を最後に二軍へ降格した。
そして6月に行沢久隆との交換トレードで日本ハムへの移籍が決定。
日本ハムへ移籍後の7月4日対南海戦で移籍後初めて先発起用されると5打数3安打を放った。
この年、日本ハムでは40試合に出場した。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

首位打者のバッティングをもう一度
グアム・キャンプで一番張り切っていたのが吉岡だ。
本来ならフロリダへ行ってもいい実績の持ち主だが、グアムへまわされて奮起。
「よし、やってやるぞ」と連日自ら買って出て特打ち。
首位打者を獲得した時の感じをすっかり取り戻した。
あとは1年を通して体調をくずさないこと。

 

グアム・キャンプでの打撃練習中の一コマ