(1979年西武ファンブックより)
アンダースローからの落ちる球を武器に個性的なピッチングを展開する。
度胸の良さも首脳陣に買われている成長株。
【1979年の大屋好正】
西武在籍:1年目(26歳)、※クラウンライターから残留、背番号43
成績:一軍試合出場なし
1971年ドラフト9位で西鉄に指名されたが、入団を拒否し専修大学へ進学。
1975年に再び太平洋クラブからドラフト3位指名を受けて今度は入団した。
2年目の1977年にウエスタン・リーグで防御率1位を記録。
3年目の1978年にサイドスローに変更。一軍で20試合に登板し、初勝利をあげた。
飛躍の年と期待された1979年だったが、一軍での登板機会がなくこの年限りで引退した。
(イースタンリーグ成績)
12試合:2勝 2敗 0セーブ、防御率5.54
イースタンリーグでは、2勝をあげたが、投球回数25回2/3を上回る被安打34を打たれ、防御率も5点台と不安定であった。
一方、投手でありながら7打数3安打、1打点と当たっていた。
安打で出塁した3回中2度はその後ホームへ生還しており、2得点を記録している。