西武ライオンズタイムマシーン(第237回):1979年 春日昭之介 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
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(1979年西武ファンブックより)

チームでも一、二を争う俊足の持ち主。
足を生かすミートバッティングを心がければ一軍でも通用する。

 

【1979年の春日昭之介】

西武在籍:1年目(26歳)、クラウンライターから残留、背番号40
成績:21試合、3安打、打率.130、0本塁打、0打点、2盗塁

 

1974年のドラフト会議で太平洋クラブから5位指名を受け入団。
ベース一周13秒7の俊足が「売り」も、打撃の弱さが課題であり、入団してから4年間は一軍に上がることができずにいた。


1979年は、球団が西武に変わり、春日自身もそれまで選手登録は本名の「春日祥之輔」としていたが、「春日昭之介」へ変更した。

8月22日対近鉄後期6回戦(日生球場)で、7回裏にジム・タイロンに代わり右翼手で出場。
プロ5年目にして、念願の一軍初出場を果たした。
この試合の9回表にプロ初打席がまわってきたが、山口哲治の前に凡退。

8月29日対ロッテ後期7回戦(西武球場)で、1番・二塁手で先発初出場を果たし、奥江英幸から単打を放ちプロ入り初安打を記録。
出塁直後に盗塁を成功させプロ入り初盗塁も記録した。
その後も二塁手として6試合に先発起用をされたが、打率は1割台と低迷し続け結果を残すことができなかった。

ちなみに、登録は「捕手」でありながら捕手としての出場機会は一度も無かった。

シーズン終盤は、もっぱら代走での起用となったが盗塁は2回試みて2回とも成功させている。

イースタンリーグの試合では、盗塁を19回試みて8回も失敗していたので、本番での強さを発揮したとでも言うべきか。