(1979年西武ファンブックより)
9人の要であるキャッチャーというポジションを長い間つとめた実績を生かした作戦は定評がある。
【1979年の和田博実】
西武コーチ:1年目(42歳) ※クラウンライターから残留、背番号42
現役時代からライオンズ一筋。
現役時代は捕手として西鉄で18年間プレーし、引退後も西鉄、太平洋、クラウンライターでコーチや二軍監督を経験。
1973年には、当時球団と関係のあったアメリカのマイナーリーグ1Aのチーム=ローダイ・ライオンズへコーチ留学もした。
西武に代わってもそのままライオンズに残留し、1979年は一軍作戦コーチを任された。
【1979年当時の記事写真とコメント】
選手の心理的な面まで把握しようと精力的に動く。
大声は出さないが厳しい。
和田コーチの手前で、ノックを待っているのは現役時代のノムさん(野村克也)です。