西武ライオンズタイムマシーン(第53回):1979年 バーノン・ロー | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

★2019年4月29日に掲載したブログのアップデート版です★

 

(1979年西武ファンブックより)

大リーグのパイレーツ時代20勝を上げ、サイ・ヤング賞を獲得したこともある大物コーチ。
若い投手が多いだけに変化球、チェンジアップなど、どう教えるか。

 

【1979年のバーノン・ロー】

西武コーチ:1年目(49歳) ※前年までアメリカ・ブリガムヤング大学助監督、背番号32

 

1978年12月4日に米大リーグ・パイレーツで16年間投手として活躍したバーノン・ロー氏とコーチ契約を発表。

大リーグ時代は、投手として通算162勝をあげた。1960年にはサイ・ヤング賞を受賞している。
コーチ契約発表の際に根本監督は「プロ野球の現状、ライオンズの現況、新人教育について話し合い共鳴する点が多くあった。」と語っている。

来日一年目は、一軍バッテリーコーチを務めた。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

サイ・ヤング賞の実績を生かす

パイレーツ時代20勝して、最優秀投手に与えられる「サイ・ヤング賞」を獲得した。

大学のコーチをやっていただけに実績は十分。

ライオンズの投手陣をどう育てるか見もの。

 

【1979年当時の野球カード】

TCMA1979年 No.17

 

TCMA1979年 No.17(裏面)

(米国製ベースボールカード)

 

【バーノン・ロー】

1948年:ピッツバーグ・パイレーツへ入団し、1950年メジャーデビュー。
1954年:先発ローテーションに定着し、うち9シーズンで二桁勝利を挙げる。
1960年:35試合の登板で20勝9敗、防御率3.08、リーグ最多の18完投を記録するなど活躍し、MLBオールスターゲーム出場、サイ・ヤング賞を受賞した。
同年のニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは第1戦・第4戦・第7戦に先発し、第1戦と第4戦では勝利投手になり、ワールドシリーズ制覇に貢献。
1965年:17勝を挙げてカムバック賞を受賞。
1967年限りで現役引退し、その後はパイレーツの投手コーチ、大学助監督を経る。
1979年:西武のコーチとして招聘され来日し一軍バッテリーコーチに就任。

その後は、1980年に二軍バッテリーコーチ、1981年に二軍投手コーチを務めた。
1990年に息子のバンス・ローが中日でプレーした。