西武ライオンズタイムマシーン(第230回):1979年 浦田直治 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

(1979年西武ファンブックより)

投手の心理はよくわかる。
ベテランから若手まで投手陣1人1人の状態を完全に覚えている。

 

【1979年の浦田直治】

西武コーチ:1年目(43歳) ※クラウンライターから残留、背番号75

 

現役時代は西鉄で捕手として8年間プレー。

引退翌年の1969年は西鉄でコーチとスコアラーを兼務し、その後はスカウト活動を中心に裏方としてチームを支えていた。

1978年にクラウンライターのスカウト兼一軍コーチとして現場へ復帰し、西武に代わった1979年もスカウトを兼務しながら一軍バッテリーを務めた。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

若い投手が多いだけに一人前に育てるのは大変な仕事。

情熱的な指導者のひとり。