西武ライオンズタイムマシーン(第228回):1979年 根本陸夫 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

今から42年前の今日=1978年10月12日は…。

西武グループの国土計画が福岡野球株式会社が保有していたクウンライター・ライオンズの株を買収し、西武ライオンズが誕生した日です。

いわば10月12日は西武ライオンズ誕生日であり、今日はその42回目の記念日であります。

 

ちょうど良いタイミングだと思い、一時休止しておりました「西武ライオンズタイムマシーン」を再開することにいたします。

しばらくの間、西武ライオンズとして生まれ変わり、新たな歴史が始まった1979年を特集したいと思います。

まずは、初代西武ライオンズ監督の根本陸夫氏から再スタートです!

 

(1979年西武ファンブックより)

基礎をみっちり仕込み、選手を掌握する力は抜群。
若い選手の素質をいち早く見ぬき、何人ものレギュラー級を育てあげた。
思い切った選手起用の采配が見ものだ。

 

【1979年の根本陸夫】

西武監督:1年目(53歳) ※クラウンライターから残留、背番号81

 

【1979年監督成績】(※西武成績)
シーズン成績:130試合、45勝73敗12分、勝率.381、6位(1位近鉄と28.5ゲーム差、最下位)

前期成績:65試合、18勝40敗 7分、勝率.310、6位(1位近鉄と21.0ゲーム差)

後期成績:65試合、27勝33敗 5分、勝率.450、5位(1位阪急と9.5ゲーム差)

 

1978年シーズン終了後に国土計画がクラウンライターを買収し、西武ライオンズが誕生。
本拠地も福岡から埼玉県所沢市への移転が決まったが、根本はそのまま監督として続投し、新生西武ライオンズの初代監督となった。
西武監督就任後は、球団管理部長としてフロントの責任職も兼任しチーム作りを急速に進めた。
1978年のドラフト会議で4球団競合の末、森繁和を1位指名で獲得。
また、巨人との争奪戦の末、ドラフト外で松沼博久・雅之の松沼兄弟の獲得に成功。
そして阪神から田淵幸一・古沢憲司を、ロッテから山崎裕之をトレードで補強。
ロッテを自由契約となった野村克也も入団した。
積極的に戦力補強をし、春季キャンプとオープン戦をアメリカ・フロリダで2か月近くにわたって行うなどその充実ぶりから、初年度から躍進の期待も高まりつつあった。
しかし、いざシーズンが始まると開幕12連敗(現在もNPBワースト記録)を喫するなど低迷し続けた。
結局、ほぼ見せ場の無いまま、前期6位、後期5位でシーズン成績も最下位の6位に終わった。

 

【1979年当時の記事写真とコメント】

 

 

優勝に向かって前進する采配
鋭い視線で選手の動きを追う。
時々、叱咤激励の声が飛ぶ。
フロリダ・キャンプでも「根本式ゆっくりリズム」の姿勢をくずさなかった。
じっくりと落ち着いた構えが選手の信頼を呼んでいる。
森、松沼兄弟の新入団組と田淵、野村、山崎、古沢ら実力派の移籍組を加え、チームはグンと厚みを増した。
監督自身「やるからには優勝・・・」と公言。
機知に富んだ采配はいかに。