10月3日に所用で代々木方面へ出掛けたついでに原宿まで足を運んでみました。
人混みを避けたくてJR原宿駅の新旧駅舎だけ見てさっさと明治神宮へ向かうつもりでしたが、ふと、以前この原宿の地にも西武ライオンズの聖地と呼べる場所があった事を思い出しました。
原宿駅を出て明治神宮の参道入口方面へ向かったすぐの交差点付近(写真のこの場所)に、かつて国土計画の本社がありました。
現在は、地下鉄の出入口と商業施設らしき建物(写真右側)になっています。
国土計画本社に隣接していたコープオリンピア(写真左端)はいまだ健在です。
現在その商業施設らしき建物は、山手線に沿った形で建てられています。
国土計画本社は当然これよりも大きな建物でしたが、この場所に同じようにガラス張りのビルとして君臨していました。
国土計画は、西武鉄道のグループ企業で1978年(昭和53年)10月にプロ野球球団のクラウンライターライオンズを買収。
当時国土計画の社長だった堤義明氏が球団名を西武ライオンズとし、オーナーに就任したのが球団の始まりです。
本当のところはどうだったか知り得ませんが、堤オーナーは、神奈川県の自宅からこの原宿の国土計画本社までヘリコプターで通勤していたという逸話もあります。
この国土計画の本社が野球ニュースとしてテレビで映るのは、毎年シーズン終了後に監督が出向いて堤オーナーへシーズン報告をする時でした。
過去のシーズン報告会の中でも特に印象深い年は、リーグ3位に終わり5連覇を逃した1989年のオーナーへの報告会です。
優勝を逃した森監督に対して堤オーナーが「やりたければ、どうぞ」と言い放ったことが当時も話題になりました。
そんな言われ方をされた森監督は、辞任も考えたそうですが、石毛ら主力選手に留意され監督を続投。
一方の堤オーナーは「その部分だけを編集されて報道された」と釈明をしました。
いずれにしても、この年の悔しさがあったからこそ、翌年からのリーグ5連覇の偉業につながったとも言えます。
国土計画の話に戻すと、その後1992年にコクドに商号を変更。
そして2004年10月に堤オーナーが西武鉄道の有価証券報告書虚偽報告の責任を取る形で、会長及び西武ライオンズオーナーを辞任。
そこからは一気に崩壊の道へ。
2005年3月に堤氏が証券取引法違反容疑で逮捕されると法人としてのコクド・西武鉄道の有罪が確定。
2006年2月にプリンスホテルに吸収合併される形で解散。
そして原宿の地にあった国土計画の本社ビルは解体されました。
そして、我々ライオンズファンにとっても馴染みがあったのは、この国土計画の本社ビルの正面入口前にあったライオンズコーナー原宿店ではないでしょうか?
原宿店は、球団発足1年目のシーズンを終えた1979年の11月に開店。
オープニングセレモニーでは、東尾投手が来店しファンサービスをするなど盛り上げていたようです。
こちらは、1984年当時のライオンズコーナー原宿店の売り場写真
私は1990年代になってからですが、2、3回訪れたことがあります。
他のライオンズコーナーに比べて、何となく暗い雰囲気、空気が張り詰めたような緊張感があって居心地の良さを感じませんでした。
少なくとも1984年当時の売り場写真のような品揃えとお店の明るい印象は無かったです。
【おまけ】
その後、明治神宮へ参拝へ行ってきました。
ここ数年は、毎年一度は参拝をしていたのですがコロナの影響で外出を控えていたため今年は10月になってしまいました。
明治神宮は、11月1日で鎮座100年を迎えるということでその記念事業のひとつ「夢鈴」(初穂料2,000円)を奉納し「世界平和」、「健康第一」、「交通安全」を祈願してまいりました。
かつて国土計画本社も明治神宮の参道入口にあり、そのパワーの恩恵を受けていた事でしょう。
しかし、悪いことをして神様は怒ってしまったようです。
だから現在は跡形もなくなってしまいました。
当然のことながら、悪い事はするものではありませんね。