【1991年の羽生田忠克】
西武在籍:9年目、背番号10
成績:56試合、17安打、打率.274、本塁打0、打点4、盗塁4
1991年も強肩と俊足を武器に守備要員、代走要員としてチームを支えた。
打撃は少し力強さを増し、打率も.274とまずまずの数字を残した。
7月17日近鉄戦の9回裏には野茂を大の苦手とするデストラーデに替わって羽生田が代打で起用された(結果は左飛)。
1991年 タカラプロ野球カード
BBM1991年 No.75
BBM1991年日本シリーズ No.S24
第2戦の9回裏に代走起用され、9年目して初めて日本シリーズに出場した。
第3戦では8回から右翼守備に入ると、9回表には打順が回ってきたが中飛だった。
第4戦以降は、出場機会がなかった。
羽生田忠克
西武在籍期間:1983 - 1997年(15年)
西武通算成績:341試合、115安打、打率.258、本塁打1、打点31、盗塁25
1982年オフにドラフト外で西武に入団。
1985年に野球留学した。
1986年帰国後にスイッチヒッターに転向。
1987年に背番号を「69」→「10」に変更。
1989年に名前を「忠之」→「忠克」へ改名。
1996年に背番号を「10」→「0」に変更。西武球団史上初の0番号選手となる。
1997年限りで現役引退。
1990年代前半の西武黄金期には、俊足、強肩の貴重な控え選手として代走や守備固めで起用される事が多く、特に外野から本塁までダイレクトで届く送球には「鉄砲肩」と評されるほどの強肩の持ち主でした。
度重なる故障があったが15年間在籍し脇役としてチームを支え続けた。