西武ライオンズタイムマシーン(第89回):1991年 森祇晶 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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【1991年の森祇晶】
西武監督:6年目、背番号81
西武シーズン成績:130試合、81勝43敗 6分、勝率.653、1位、日本一


1991年は、監督6年目のシーズンであり、2年連続13度目のリーグ優勝と2年連続10度目の日本シリーズ制覇を果たした。

ペナントレースは、近鉄とのマッチレースとなり、最終的に4.5ゲーム差を付けてのリーグ優勝。

森監督は、後に自著で1991年シーズンをこう振り返っている。

「決して楽な展開ではなかった。春先の渡辺久信の二軍落ちと清原の絶不調。オールスター第2戦で秋山が自打球による負傷で後半戦最初の11試合を欠場など。皆が揃って1年間を全うするシーズンはあり得ないということを証明するかのような年だった。」

 

また、特筆すべき点として、こうも付け加えている。

「一見、クリーンアップで打ち勝った試合が多かったように見えるかもしれないが、実際はピッチャーを中心とした鉄壁のディフェンスで手にしたペナントであった。」

それを裏付ける数字として1991年の西武は130試合で38失策のシーズン最少失策で守備率9割9分2厘のプロ野球新記録を樹立している。

 

BBM1991年 No.61

 

BBM1991年オールスター No.401

オールスターゲームでは、パ・リーグ監督として4度目の指揮を執った。

 

BBM1991年日本シリーズ No.S1

森監督は、1991年の日本シリースについても自著でこう語っていた。

「第5戦に敗れ先に広島に王手をかけられてはいたが、勝ち急ぎ気味の広島の投手起用に付け入る隙があると睨んでおり、逆転できる自信はあった。」

実際に広島は、第2戦で118球を投げた川口を中3日で第5戦に先発起用している。そのことに、森監督は「ありがたかった」と述べている。

第5戦こそ川口がハンデをはねのけ好投し広島が勝利したが、つづく第6戦で川口をリリーフで起用してきた時は、「信じられなかった」とも述べている。リリーフした川口を今度は西武が攻略し逆王手。第7戦も川口はリリーフで起用されたが、西武打線が勝利を決定的なものにする追加点をあげ決着、日本一を決めた。

森監督はこの日本シリーズは何が勝敗の分かれ目だったかについても「もし、佐々岡と川口を第5戦と第6戦まで温存していたなら、結果は逆になっていたかもしれない」と語っている。

実際、日本シリーズでの広島の先発投手ローテーションは、第1戦・佐々岡、第2戦・川口、第3戦・北別府、第4戦・佐々岡、第5戦・川口、第6戦・川端、第7戦・佐々岡だった。

すでに監督として4度の日本一を達成していた森監督と監督一年目でシリーズ初采配となった山本監督との経験の差が出た結果となった。