西武ライオンズタイムマシーン(第67回):1981年 吉本博 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
古き良き、そして青き「ライオンズブルー」の懐かしの選手や、思い出の名場面などを私が所有している当時の野球カードや記事などを紹介しながら振り返っていきます!

【1981年の吉本博】
西武在籍:3年目、背番号32
成績:74試合、31安打、打率.230、本塁打5、打点11、盗塁1

 

背番号を「49」→「32」へ変更。
1981年は、捕手として32連続盗塁阻止失敗のワースト記録を作ってしまう。

 

昭和56年度タカラプロ野球カード

 

吉本博
西武在籍期間:1979 - 1982年(4年)
西武通算成績:176試合、90安打、打率.245、本塁打14、打点39、盗塁2

 

1974年ドラフト会議で太平洋クラブ3位指名で入団。
西武となった初年度の1979年10月9日の対日本ハム後期11回戦(西武球場)の4回裏に佐伯和司からプロ入り初本塁打となるソロホームランを放ち、初打点もあげた。
1980年にはは56試合に先発マスクを被る。
前期に6本塁打を放ち(後期は2本)「田淵二世」と称されるなど、強打の捕手として期待されていた時期もあった。
一方で守備力が低く、1981年には32連続盗塁阻止失敗のワースト記録を作った。
1983年開幕直前に交換トレードで大洋へ移籍。
1987年限りで退団。
1988年から韓国プロ野球でプレーし、1991年に現役引退。
引退後の1992年以降も2017年まで韓国でコーチ・二軍監督などを務めた。