西武ライオンズタイムマシーン(第66回):1981年 古沢憲司 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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古沢憲司

西武在籍:3年目、背番号51
成績:32試合 1勝 4敗 6セーブ 防御率2.03

 

1981年に背番号を「23」→「51」へ変更

中継ぎ、抑えとして32試合に登板し奮闘。前年に続いて2年連続で30試合以上に登板した。

4月24日対阪急前期4回戦(西宮球場)で、9回裏に加藤英司から三振を奪い、通算1000奪三振を達成。

 

昭和56年度(1981年)タカラプロ野球カード

 

古沢憲司

西武在籍期間:1979 - 1982年(4年)
西武通算成績:95試合 8勝 24敗 16セーブ 防御率4.98

 

1964年に16歳で新居浜東高校を中退し、阪神へテスト入団。

同年7月25日の対国鉄戦で公式戦初登板を果たし、16歳117日でのプロ野球公式戦出場は、戦後最年少記録だった。

1978年のオフに真弓明信・竹之内雅史・若菜嘉晴・竹田和史との交換トレードで田淵幸一とともに西武へ移籍。

1979年主戦投手投手の1人として期待されたが、1年目は4勝14敗と大きく負け越した。

1982年にはシーズン途中に高橋直樹との交換トレードで大原徹也とともに広島へ移籍。

1985年年限りで現役を引退。

 

右のサイトハンド投手として先発、リリーフで存在を示した。

経験豊富なベテラン投手の1人として球団創設時のチームには欠かせない存在だった。