西武ライオンズタイムマシーン(第52回):1979年 山崎裕之 Part.1 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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★2019年4月28日(日)に掲載したブログのアップデート版です★

 

(1979年西武ファンブックより)
弱いといわれた内野陣に、山崎が加入したことでピリッと1本芯が通った。
近代野球で最も重要視されているセカンドのポジションをなんなくこなす技術は若手への生きた見本。
連係プレー、中継プレーの軸としてリードオフマンぶりをいかんなく発揮。
監督も「内野のことは山崎にまかせた」というほど。
右中間にうまくおっつけるシュアーなバッティングも一級品。
ライオンズファンならずとも唸る場面がふえそうだ。

 

【1979年の山崎裕之】
西武在籍:1年目(33歳)、※ロッテから移籍、背番号2
成績:79試合、95安打、打率.332、12本塁打、46打点、7盗塁

 

1965年、東京オリオンズに入団。
1年目から一軍に定着し1967年から1978年まで12年連続でオリオンズの主力として110試合以上に出場していた。
しかし、1978年オフに翌シーズンに向けてチームの構想から外れ、古賀正明・倉持明との交換トレードで、成重春生と共に西武へ移籍した。
同じくタイミングで西武へ移籍してきた田淵幸一、野村克也など他球団で実績を残した大物のベテラン選手の一人として、山崎もチーム再建を担う一角として期待を受けていた。

西武へ移籍した1979年は、開幕戦に間に合わず、開幕から約1か月後の5月5日対ロッテ前期4回戦(西武球場)で2番・二塁手として移籍後初出場した。
5月23日対阪急戦で移籍後1号本塁打が出ると、5月末までに4本塁打を放つなど一気に打撃の調子をあげ、その後も打撃は好調をキープし続けた。
8月から9月にかけて故障により一時欠場が続いた為、規定打席には届かなかったが、337打席で95安打、.332の高打率を残した。
10月10日対日本ハム後期13回戦(西武球場)で、9回裏に宇田東植から中前安打を放ち、プロ入り通算1,500本安打を達成した。

 

【1979年名場面】

10月3日(水) ○西武11X-8南海●
劇的!山崎選手の逆転満塁サヨナラ本塁打

「ウォー」と驚きの声が球場を圧した。
7-8と1点ビハインドで迎えた9回裏1死満塁のチャンスで、初球をいきなり叩いた山崎の打球は、雨の中を左中間の緑の芝生席に吸い込まれていった。
満塁逆転サヨナラの一発は、山崎選手もプロ15年目の初体験。
写真:劇的弾を放った山崎は、この試合で1号本塁打を放った西沢(左)やタイロン(右)らに笑顔で出迎えられた。
(西武球場)

 

次回「1979年 山崎裕之 Part.2」へつづきます。