西武ライオンズタイムマシーン(第247回):1979年 池田弘 | はっきりいってライオンズびいきでした。~西武ライオンズの記憶~

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1979年~2008年までの西武ライオンズを中心にプレイバック!
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(1979年西武ファンブックより)

昨年近鉄戦で完投勝利を飾り、貴重な戦力となった。
これからが楽しみな選手。
今シーズンはリリーフで出番も多くなりそうだ。

 

【1979年の池田弘】
西武在籍:1年目(24歳)、※クラウンライターから残留、背番号44
成績:3試合 0勝0敗 0セーブ 防御率5.40

 

1975年ドラフト6位で太平洋クラブに指名されるが、勤務していた鷺宮製作所の意向もあり入団は翌年シーズン後になった。
1977年は一軍未出場も、2年目の1978年は開幕から一軍に上がり、初勝利や初セーブをあげるなど32試合に登板していた。

球団が西武に変わって飛躍を期待された1979年は、5月20日の近鉄戦でシーズン初登板。
先発柴田が初回1死しか取れず4失点したところで救援したが、平野に追加点となる本塁打を浴び3イニング投げて自責点1。
5月30日近鉄戦は1イニングで自責点1、6月21日南海戦も1イニングで自責点1と3試合連続で失点を重ね、その後は二軍へ降格した。
結局、この年はわずか3試合のみの登板に終わりオフに大川浩との交換トレードで大洋へ移籍した。

 

(イースタンリーグ成績)
投手成績:21試合:7勝 6敗 1セーブ、防御率3.11
打撃成績:21試合 8安打、0本塁打、3打点、0盗塁、打率.258

 

イースタンリーグの試合では、チーム最多の6完投、2完封含む7勝をあげた。

4月10日対ロッテ戦では、3回に打たれた1本のみの1安打完封勝利を記録している。

 

【1979年当時の記事写真】

練習中に野村克也からアドバイスを受ける池田